ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.27 > p32

コンピュータ教育のバグ
完璧すぎて使い物になんねぇ
—授業に役立つはずのコンテンツの使い勝手—
 最近,アプリケーションソフトウェアに付属している紙のマニュアルは,ごく簡易なものだけで,あとはヘルプを参照するか,ネットでオンラインマニュアルを見るかというパターンが定着しているようだ。しかし,どうもそれでは使い方がわからないということで,書店などでは,ソフトウェアの操作に関する数多くの書籍が売られている。これも一長一短で,項目によっては事細かには書いてあるが,自分が必要としている操作説明が見つけにくい場合もある。
学校向けのコンテンツは百花繚乱
 コンピュータを使う授業のための指導案や単元案,実習用のサンプルデータやワークシート,実践事例や動画集など,インターネットでちょっと検索をかければ,ありとあらゆるコンテンツが手軽に手に入るようになってきた。個人的に作成したものを自らの手で公開しているものから,大学や公官庁による大規模なデータベースまで,日本国内だけでも本当にさまざまなものが存在する。

 しかし,これが多くの教師に有効に活用されているかというと,実はそうではない。教師の性か人間の本質か,とにかく,既成のデータを活用して授業をするということはあまり好まれないようだ。他人のふんどしで相撲を取るというようなイメージがあるからだろう。たとえば,日頃の授業のまとめとしておこなうテストなどの場合,自分で作ったものであれば,翌年にリメイクして平気で使い回したりする。しかし,ある科目を担当する教師が交替した場合に,前年の担当者が丁寧に整理した資料や,過去のテスト問題を受け取っても,これを全面的に活用しようと考える先生は少ないはずだ。教師のプロ意識的なプライドが許さないからだろうか。自分は自分のやり方で教えたいというのが,どうしても前に立つ。

 ということで,コンピュータ教育においてもご多分に漏れず,「他人の作ったコンテンツで授業なんかできるか」という意識がどうしても教師の意識の根底には存在してしまうようである。
コンテンツのほうには問題がないのか
 情報を共有して,より少ない労力で,有効なコンテンツを手に入れるということは,とてもよいことだというのは明らかである。しかし,それでも使われていない現実はある。このような状況は,苦労してコンテンツを作成して公開している側からすれば,せっかくの苦労が報われないことこの上ない。ところがここにもう一つ,使われない・使えない理由が存在することを忘れてはならない。

 コンピュータ教育に関するこの手のコンテンツは,フルコースか満漢全席のように,どれも完璧すぎるということだ。実習の準備から評価にいたるプロセスまでがパッケージ化されて,この通りに進めれば誰でもいつでも実践できますよというものが多い。だが,多少なりとも自分のやり方というものを活かそうと考えると,こういうコンテンツは実際には使えない場合が多い。アラカルトメニューのようなコンテンツも存在する。この一時間,この操作については,この通りにすれば実習が完結しますよ,というものだ。しかしこれもパッケージ化されていることには変わりはない。

 では,どのようなものが求められているのだろうか。調理済みのものではなく,さまざまな活きのいい素材や斬新な調理方法のアイディアが欲しいのではないだろうか。プロの料理人が,他人の調理したものを客に供するようなことは決してないのだから。
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