ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.32 > p1〜p5

論説
教育における著作権−ICTを利用するための常識
常磐大学教授 坂井知志
1.はじめに
 著作権の権利団体や著作権法に詳しい人から次のような言葉が発言されている。「大学と社会教育は無法地帯。複製を許している著作権法第35条は義務教育に限るべきである。」「盆踊りも舞踊の著作物であるので,許諾を得ないで写真を取ることはできない。」「教育関係者の特権意識には,戸惑いを超えて怒りさえ覚える。」「教育関係者の構築したデータベースは直ぐに閉鎖すべきである。」「医学書を学生がスキャナーで読み込み,友人と共有しているので本が売れない。」「本屋で本や雑誌を携帯写真で写し,レポートに活用している。」「学校や教育委員会を裁判にかけるべきである。」このような言葉を聴くたびに,教育関係者が著作権法に関心を持たなければという焦りと,このままで行くと権利団体の堪忍袋の緒が切れるか現実的でない議論が進み,著作権教育が成果をあげられなくなるという悲観的な見方が私の中に広がっていく。
 また,ある学校が熱心に行っていたブログが個人情報保護法に抵触するので教育委員会から閉鎖を命じられた。卒業アルバムや同窓会名簿が肖像権や個人情報の問題から作成できないという話も私のところに届いている。その延長線上には教員や教育委員会が熱心に構築してきた地域の映像は公開できなくなるという問題がある。地域の祭で踊っている人の姿と顔はそのまま利用できない。踊りは舞踊の著作物。顔を識別できれば肖像権の問題。その権利処理がなされていなければ利用できない。
 現在,個人の権利を認める社会の動きに教育関係者が戸惑いを感じている。特に著作権,肖像権,個人情報の問題はどのように教員が対処すべきなのかをイメージできないため,戸惑いは大きい。これは,ICTを教育の内容として捉えないで,技術の問題やインフラとしていたことが主因である。つまり,車の免許で例えれば,車の免許を取得するときに車の操作方法や車の性能,道路の構造ということを教えるだけで,交通法規を教えないということがICTを利用した教育に起きたのである。道路の構造やアスファルトの材質は知っていても無駄ではないが,一時停止の標識を教えることよりも優先度は落ちる。さらに,コンピュータ処理のことや回線速度のことに詳しい大学教授や同僚をICTの指導者と思い込んでしまったところに問題を大きくしてしまった原因がある。CPUとか回線速度が何メガであるかということは教員全員に必要な知識とは思えない。技術が目的を構築することはあるといわれるが,それは技術の問題であり,教育の中身の問題とは異なる。技術と制度のバランスを欠いたICTに関する議論は視聴覚教育の議論には見られなかった。視聴覚教育の積み重ねが何故活かされなかったのであろうか。その原因の一つは,視聴覚教育がICTとは異なるという認識が広がってしまったところにあるように思われる。視聴覚教育は,手段としての認識と著作権など制度との問題をバランスよく進めようとしていた。そのことを学び,その上に新たなことを構築するという冷静さが欠けていた。
 新たな風を教育に吹かせるために,私をはじめとしたICTの関係者が,今,冷静にこれからのことを考えたときに,著作権の問題が重く圧し掛かってくる。ICTに急ブレーキをかけないためには教員が著作権の知識と視点を持つことである。そのための最低ラインを論じてみたい。
2.一般社会の著作権の常識
 企業は社内の会議で新聞や雑誌などをコピーして配布するために,日本複写センターと契約し使用料を支払っている。日本複写センターのホームページは「著作物の複写(コピー)は,著作権法で定められた例外を除き,著作者の許諾を得て行う必要があります。しかし,個々の著作権者の連絡先を調べ許諾を得ることは容易ではありません。こうした煩わしい手間や手続きを解消して,利用者の便に供するとともに,法律を遵守し著作者の権利を集中的に処理する『日本複写センター』が設立されました。」とセンター設立の目的を示している。このなかでも述べられている「著作権法で定められた例外」の一つとして,授業における複製が限定的に認められている。しかし,あくまでも授業での複製は例外なのであり,しかも何を複製してもいいというわけではない。会員の中には,一般企業のほかに文部科学省や文化庁,大学もある。これは,教育機関であっても授業以外でコピーをして会議を行うからである。著作物をコピーすることは原則,有料というのは当たり前のことである。
 もし,この当たり前を見過ごすとどのようなことになるのかを知っている教育関係者は少ない。民事罰だけでなく刑事罰もある。驚いては困る。学校の教員が遠足の下見に行くとき,車を運転していて高速道路を時速180Kmで走り,追突事故を起こせば当然警察に捕まる。教師と学校は教育活動の一環だから許してくれとはいえないのは当然である。学校の電気代と水道代は教育機関だから払わない。払うことは可笑しいと主張するのか。著作権法の議論は権利団体からはこのように見えるのである。
 教育の分野でも入試問題の二次利用の裁判が行われている。入試問題には著作権者の了解を得ないで著作物を利用できるが,問題集に関する特例はない。そこで,著作者が裁判を起こしたのである。また,生涯学習の分野では,最高裁で2004年上告を退けられた決定がある。名古屋の7つのダンス教室が市販の音楽CDを利用したレッスンを行っていることに過去10年分の使用料相当額として3,646万円の支払いを命じた二審判決を最高裁が支持した。現在,日本中のダンス教室が未払い分の使用料があれば過去10ヵ年遡って支払いを行っている。
 ジャズ喫茶やレストランも著作権料を払って音楽を利用している。カラオケで私たちが歌えば著作権料は自動的に支払われている。放送局もCDを使えば包括的に使用料を支払っている。
 あくまでも,授業目的ということで許されている範囲と条件があるという認識がなければ違法行為をしてしまう。この意識啓発と著作権知識の普及が教育界には早急に必要である。著作権や情報モラルを教える教師そのものが違反者であるという図式は笑えない。社会的には非常識である。
3.教材をつくると犯罪!
 私は,現在「デジタルアーキビスト」の養成カリキュラム開発に携わっている。これは,日本教育情報学会会長で岐阜女子大学の後藤忠彦副学長が中心となっているプロジェクトである。文部科学省の高等教育局がすすめる3年間の研究である。特色ある大学づくりを目指して重点配分している「現代GP」といわれている研究である。そこでは,教員・学芸員・司書・社会教育主事等が地域の歴史・民俗的な行事や資料をデジタルカメラやビデオで収録し,データベースにするためにはどのようにするのかを文化伝承の視点から開発している。簡単にいえば地域映像の教材づくりともいえる。これからの教育関係者は,ICTに関する技術を活用するとともに,それを整理し,いかに利用者に利用しやすくすることができるかが課題である。そのためには,収録した画像に関するメタデータ,シソーラスに関する知識も必要である。それをデジタルデータにし,劣化しないようにしていくためにはデジタル技術が決して永久のものでないことなど,現在のテクノロジーの限界に関する知識が大切である。また,後述するが,文化伝承に関しての知識の課題も知る必要がある。しかし,そのことを知るだけでは折角のデータベースは公開も教材化もできない。そしてそのことを知らずに子どもたちに教材として提供していれば著作権法違反や肖像権違反となり告発を受けることになりかねない。適法な教育活動を運命付けられている教員集団がICTを的確に利用して良い授業をするための必須知識としての著作権教育は,早急に実現しなければならない。
4.著作権に関するガイドライン
 平成16年1月1日から著作権に関する法律が大きく改正され,主に以下のことが著作権者の許諾を得ないでできるようになった。

(1)教育機関における児童・生徒等の複製
 教員が著作権者の許諾を得ないで,教材等の複製を行うことができていたが,それを生徒もできるようにした。
 つまり,修学旅行での訪問先について,インターネットや書物で生徒が自ら調べたことを印刷し,他の生徒に配布して説明することが違法でなくなったということである。しかし,それを学校のサーバーに蓄積し,校内LANでいつでも,どこでも利用できるようにすることはできない。

(2)インターネット等の授業の公衆送信
 衛星通信やインターネットを活用して遠隔授業を行うときに,主会場の生徒等に複製した著作物を,副会場の生徒に画面表示することは違法でなくなった。しかし,同時中継という前提があり,オンデマンド型は未だ違法となる。

(3)試験問題の公衆送信
 著作物を利用して,入学試験や検定試験がインターネット等で行われることについても合法となった。

(4)拡大教科書の複製
 平成16年1月1日から著作権に関する法律が大きく改正され,主に以下のことが著作権者の許諾を得ないでできるようになった。

 (1) 教育機関における児童・生徒等の複製
 教員が著作権者の許諾を得ないで,教材等の複製を行うことができていたが,それを生徒もできるようにした。
 つまり,修学旅行での訪問先について,インターネットや書物で生徒が自ら調べたことを印刷し,他の生徒に配布して説明することが違法でなくなったということである。しかし,それを学校のサーバーに蓄積し,校内LANでいつでも,どこでも利用できるようにすることはできない。

 (2)インターネット等の授業の公衆送信
 衛星通信やインターネットを活用して遠隔授業を行うときに,主会場の生徒等に複製した著作物を,副会場の生徒に画面表示することは違法でなくなった。しかし,同時中継という前提があり,オンデマンド型は未だ違法となる。

 (3)試験問題の公衆送信
 著作物を利用して,入学試験や検定試験がインターネット等で行われることについても合法となった。

 (4)拡大教科書の複製
  教科書に掲載された著作物を拡大して複製できるようになった。
 これらについて今までできなかったとは考えていなかったという教育関係者も多いが,保険の外交員が保険制度の改正について遠隔授業で学んでいることと比較すると,いかに教育関係者が現代の制度改正に無頓着であるかがわかる。「大学時代には著作権や肖像権,個人情報は習わなかった。」「今まで行ってきたことだから大丈夫。」という程度の社会性のなかで授業を行っているとしたならば,手痛いしっぺ返しがくるだろう。
 以上の改正は,これからの高度情報通信社会において不可欠な改正といえる。(1)の児童・生徒の複製については,児童・生徒の自主的な授業において不可欠なことであるが,実態を追認したともいえる。この改正にともない,(1)(2)に関して権利団体は懸念していたことがある。それは,複製やeラーニングが全面的に自由になったと拡大解釈されないかということである。その認識から著作権法の教育機関に認められた複製行為の特例の範囲を厳格に守ることを明確にするための「ガイドライン」作成を教育者サイドと共同で行うこととした。私も高等教育と社会教育の立場から参加した。多くの合意事項が確認されたが,いくつかの現実的でない事項が盛り込まれたために教育者サイドとしてはこの「ガイドライン」を認めることはできなかった。現在は,権利者サイドの協議会名で日本書籍出版協会等のホームページにアップロードされている。教育者サイドが現実的に守ることが不可能と思われる事項がいくつかある。例えば,「研究授業・授業における参観者」であるが,保護者だけでなく,教育委員会や文部科学大臣,内閣総理大臣の授業参観においても配布できないとの解釈である。また,「学級通信・学校便り等への掲載」「教科研究会における使用」もだめとなる。幼稚園や小学校の児童・生徒がドラえもんの絵を授業中に描くことはよいが,それを学級通信に載せることは正規の授業といえないのでだめということである。同様に先生方が生徒に配布した資料が適切であったかという研究会に生徒に配布した資料を配ることは正規の授業でないのでだめとなる。このような精緻な議論が裁判で認められるとは必ずしもいえないが,裁判を抱えるとは教育者サイド・権利者サイド双方とも望んでいない。私の解釈では,現在このガイドラインが教育界には受け入れがたいものであるという反応を示すのは,私たち教育者サイドである。玉はこちらにある。私もメンバーに入った文部科学省の研究会では報告書を作成したが,公表には至っていない。このままでは,現在のガイドラインが定着したものとされ,これが基準となってしまう。少なくとも権利団体は,そのような認識をもっている。その証拠に,平成18年5月に権利団体は「お話会・読み聞かせ団体等による著作物の利用について」のガイドラインを公表している。
 私は著作権教育を大切に思っているが,現場の教員の知識と認識との折り合いをつけなければ無意味なものとなるということを基本としている。その意味から権利団体の認識に違和感を覚えるが,それ以上に教育関係者のアンテナの低さと社会性のなさと組織的な対応の遅さを感じる。
 このガイドラインを認めがたいのであれば,校長会や教育長協議会,各教科関係団体等が反応を示すべきである。反応を示しているのは一部視聴覚教育関係団体だけである。学会においては日本教育情報学会が,全国の教職員の著作権に関する意識等調査を実施する予定をしているが,教科関係学会の動きは見られない。
5.活路の方法
(1)著作権教育の充実
 このような権利者サイドと教育者サイドとのすれ違いを解消するための具体策を考えなければならない。その第一歩は著作権が教育関係者にとって不可欠な知識であるという認識を深めるための研修と,教員が生徒に教えるプログラム開発という著作権教育の充実である。各県の教育センターは情報モラルを著作権,肖像権,個人情報,セキュリティ,ネチケットにわけて,情報化の必須要件としている。また,著作権を特化する形で研修を行うところや,著作権を守ることは人権教育の一部として考えているところもある。しかし,著作権に関して幼稚園から小中高等学校,そして高等教育までの教員が知っておくべきことは,体系化が図られていない。さらに,教える方法も権利団体が一部子ども向けのプログラムを開発しているものの,極めて限られたものとなっている。幼稚園の子どもから大学院生までの年齢層が,著作権を守ることが大切であるという意識と方法を共有することが求められている。

(2)自由利用マークの普及
 文化庁は著作権を簡易に守れるルールづくりに取り組んでいる。その一つが自由利用マークである。マークは3種類である。

コピーOK
 コピーOKマークは,「プリントアウト」「コピー」「無料配布」のみが認められるものである。変更や改変等は認められないので,そのまま使わなければならないが,会社のパンフレットにも無料配布であれば使える。

障害者OK
 障害者OKマークは,障害者が使うことに限り,コピーや送信,配布などあらゆる非営利活動が認められる。改変などについても可能である。

学校教育OK
 学校教育OKマークは,学校教育の様々な活動でコピーや送信,配布が行える印である。改変などもできる。
 これらを教育関係者が作成したデジタルデータベースにつけることにより,学校相互に情報共有が可能となる。
 しかし,問題が残っている。社会教育OKマークがないことである。つまり,博物館という社会教育施設と学校が同じ土俵にあがれない。博物館のデジタルデータベースを活用したeラーニングでは社会教育のマークがないので同様のコメントを作成しなければならない。

(3)契約書の作成技術の修得
 このようなマークをつけるにしても,全てオリジナルのデータベースを作成することは通常ありえない。他人の著作物を利用することが普通である。そこで必要なことは,著作権者と契約を交わすということである。簡単に言えば,契約書を作成することである。旧文部省が衛星のネットワーク(エル・ネット)を運用するために作成した契約書が教育界において最初のものといえる。文化庁の著作権課ではホームページ上で著作権契約書を作成できる「著作権契約書作成支援システム」を稼動させている。これにより,契約書の作成は容易になった。

(4)教育サイドの組織化
 法律は強いもののためなのか,弱いものに味方するのかという議論は別にして,教育界がどのようなICT教育を目指し,それを実現する方向に持っていくのかということについての議論が,技術的な面だけで進められるのではなく,制度的なチェックをし続けるための組織が教育界には求められる。ICT教育に関連する団体や研究会等に著作権部会が設置され,その意見を文化庁に要望していくという業界としての流れをつくる必要がある。

(5)実務能力の向上
 写真やVTRを収録する技術を修得し,自由利用マークの使い方や契約書の作成までできるような著作権の知識を頭に入れた上でも残る問題がある。それは,著作物を特定する力と誰がどのような権利を持つべきかについての洞察力である。著作物が特定できなければ誰と誰が契約するのかを具体化できない。さらに,著作権を譲渡してもらうのがよいのか,それとも期限や条件を付して利用をするのがよいのかについては,権利者サイドの教育活動への深い理解と,教育者サイドの今後の可能性を見極める洞察力が必要である。これらを身につけさせる教育プログラムの開発(守れるルール)に権利者サイドと教育者サイドが早急に取り組むことを期待している。
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