ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.4

巻頭言
 
関西大学総合情報学部教授 名和 小太郎

 この1年,あるNGOの手伝いをしている。私自身はこれといった特技も持たず,したがって寄与もできないままでいるが,とにかくびっくりしている。なににびっくりしたのか。それを紹介したい。

  まず,仲間づくり。これは,はたから見ていても大仕事であった。私は,世話役に「こりゃ憂い顔の騎士の仕事だね」などと同情したくらいだ。「まあ,風車に突進するよりはましだと思うが」などと表向きは楽天的な答えが返ってきたが,じつは,寝食を忘れて,という言葉がぴったしの大事業であったことを,私は知っている。

  だが,いったん仲間づくりりが完成すると,新聞やテレビも好意的な紹介をしてくれ,このあとは順調に滑りはじめた。まず,メーリング・リストを調達した。これは世話役のシステムの軒先を借用した。メーリング・リストができるとあとは一潟千里。あれよ,あれよ,という間に組織づくりが軌道に乗った。

  会の名前,会の規約・これがメーリング・リスト上のわいわいがやがやでたちまちのうちに決まってしまった。メンバーのそれぞれは,生業をもっているだろうし,家庭生活ももっているはずだが,まあ,よくも書くね,といった感じ。数日間も怠けていると,読む気力が萎えてしまうほど,たくさんのメッセージが溜まってしまう。

  それだけではない。NGOへの支援をしてくれる財団を探してくるメンバーもいれば,その申請書類の作成を引き受けるメンバーも出てくる。自前のホームページをつくろう。そのデザインを引き受けよう。こんな申し出もつづいた。

  びっくりしたというのは,この合意形成の巧みさだけではない。メーリング・リストの運用の巧みさであった。もちろん,メーリング・リストに登場するときには,だれもそれなりの自己紹介と挨拶をする。だが,どのメンバーも自他の個人情報の露出については節度ある語り方をしている。この辺,オープンな場におけるプライバシーの保護という点に関して,参加者のすべては微妙な間合いで対応しており,見事である。これぞネティケットの神髄,というべきか。

  パソコンをもっていない人が会に参加していた,ということがある。このとき,これに気づいた人は,この事実を全員に警告し,メーリング・リストをプリントして,さっそくその人にファックスした。この思いやりの鋭さに,この手際のよさに,私は脱帽した。

  話はこれで決着しなかった。パソコンを持たない人に対して,その人の発言権をどのように確保したらよいのか。これがメーリング・リストの上での活発な議題になった。

  以上が,びっくりした話である。同時に,私は考えた。この便利なメーリング・リストを使わないという手はないだろう,と。ただし,これに慣れるためにはいくつかのレベルをクリアしなければならない,と。

  まず,技術のレベル。メーリング・リストというツールを操作できるようになること。これは,いわゆるパソコン教育の課題だろう。

  つぎに,論理のレベル。このツールを運用して,議論なり合意形成なりができるようになること。これはレトリックを鍛えることで対応できる。

  最後に,思いやりのレベル。だが,どんなに上手な教育方法が開発されたとしても,このツールを使えない人が残るだろう。そのような人に対して思いやりをもつこと。そうした人を適切な方法で支えること。情報教育はここまでを視野に含むべきだろう。

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