ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.4 > p24

コンピュータ教育のバグ
使えなくなるまで使えます
−社会と学校の進化の違い−

 最近の子供達は,進化という言葉をよく使う。「わたし,今度の4月から2年生に進化するんだ。」「オレ,ついに部活でレギュラーに進化したよ。」という具合だ。これは,人気のテレビアニメやゲームソフトなどの影響のようだが,別の見方をすれば,昨今の変化の激しい社会の中で,子供達でさえこの変化なり進歩なりに敏感に反応していることの現れともいえるのではないだろうか。しかし残念なことに学校の中での進化のスピードは…

コンピュータの耐用年数
 一般に学校の備品というやつは,かなりの長期間にわたって使用されることになっている。例えば,OHP用で,重たい三脚の付いた巻き取り式スクリーンが「1965年度卒業記念品」だったり,洗面所の排水口やトイレの詰まりを直す用の,ゴム製の吸盤に棒の付いたやつにまで,誰か律儀な先生が「昭和49年美化用品」なんて記入していたりして,「あぁ,この吸盤は四半世紀もこの学校で,来る日も来る日も吸引に精を出しているのか」などと変な感慨に耽ってしまったりする。

  しかし,ことコンピュータとなると学校の備品といっても,ちょっと事情が違う。コンピュータの位置づけが,専門家の扱う精密機械だったのが,誰でも持っている家電製品という状態にまで進化してきている。世間一般には,コンピュータほど耐用年数の短い家電製品はないなどといわれている。このようなコンピュータを取り巻く事情は,教育現場も例外ではないはずで,最先端の技術や知識の取得というようなことをうたうのであれば,コンピュータ機器もかなり頻繁に短いサイクルで更新されているのが筋というものである。

  だが,現状の学校では,コンピュータの機種更新は,早くて数年サイクルがいいところである。それでもまだ恵まれているほうで,ひどいところでは,「スイッチが入って画面が映っている間が耐用年数だ」というような状態で,甘んじている場合も多々あるのである。しかも,これを使って教える教師側も,「どうせ新しいコンピュータが来たって使いこなすのに時間もかかるから面倒だ。」という姿勢な方もいるものだから,ただでさえ滅多に行われない更新が遅れがちになったりする。
ソフトでもハードでも
 基礎・基本になる考え方は一緒だから機械は古くてもいいというのも一理あるのだが,できるだけ新しいマシンで,良質で新鮮なソフトを使いこなしてこそのコンピュータ教育ということを,学校現場でもはっきりと認識しておくべきだといえるのではないか。これは,現状では単なる絵に描いた餅の理想論なのかもしれない。しかし,その絵に描いた餅が,情報活用能力の必要性が叫ばれてきたり,あるいは,情報教育における実習の重要性がクローズアップされてきたりして,にわかに現実味を帯びているのも事実である。

  それでも現実は厳しい。こんな例もよくある。数年ぶりに新しいコンピュータに更新できることになった。そして,いよいよ導入という段階で,ディスプレイが以前より大きくなっていて,今ある教室の机に乗らないことがわかって大慌てだとか。バンドルされている以外のソフトを台数分ライセンス契約する予算がないので,次の更新があるまで利用できるソフトは追加はおろかバージョンアップすらできないとか。あげくは,必要なコンセントの数が増えたけれどタコ足配線をしても全然足りないとか。学校現場の実状は,やっぱり社会の進化に遅れをとってませんか?
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