ブックタイトル教育情報No.10
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教育情報No.10
学校教育の「道徳」は特別の教科として新たな歴史を刻もうとしている。旧来の道徳の授業が心情理解に偏ったものであるとして、そこから質的転換をはかるべきだという主張が含まれているからである。それを象徴しているのが、言うまでもなく「考え、議論する道徳」という言葉である。 こうした主張に促され、教師たちは子どもたちに考えさせるための授業方法を模索し始めている。授業中に子どもたちにどのように考えさせればよいのか、議論が苦手な子どもたちをどのように議論へと導いたらよいのか。そのような悩みがしばしば私の耳にも届いてくる。 だが、そのつど私は「考え、議論する道徳」が特別なことを必要とするのだろうかという思いにとらわれる。なぜなら、子どもたちは道徳的問題に遭遇する際に、すべきことやすべきでないことについていつも考えているからであり、すべきかどうかを仲間と相談することも珍しくないからである。誘惑に負け、すべきことができない場合が多いとしても、子どもたちがそれぞれの「考える道徳」や「議論する道徳」を実践していることに変わりはない。 ただし、子どもたちが彼らの「考える道徳」の中で考える程度は発達段階に応じて変わってくる。幼稚園児や低学年の小学生では情緒的な判断が前面に出やすいが、成長するとともに徐々に知的に判断する部分が大きくなる。そのようにして、子どもたちの道徳的な判断は知的能力の拡大とともに発達する。しかし、それを見通した道徳の授業を私はあまり目にしたことがない。 道徳的な判断が知的に発達するとはどういうことかと首をかしげる人がいるかもしれない。難しいことではない。同じ資料を小学生と中学生に読ませてみれば、その違いがわかってくる。 たとえば、「泣いた赤鬼」。周知のように、この話は、人間と親交を深めたい赤鬼のために、青鬼が犠牲となって赤鬼の願いをかなえるという内容である。小学生がこれを読むと、たいていは青鬼の自己犠牲を称え、友情の深さに感激する。だから、小学校の道徳の授業では、「友情、信頼」の項目のための資料として使われることが多い。 だが、中学生では事情が違ってくる。小学生たちと同じ反応をする生徒たちもいる一方で、小学生にはない反応を見せる生徒が現れる。たとえば、青鬼は道徳的に間違った提案をしたの特別の教科「道徳」道徳と知性 -「泣いた赤鬼」-考える道徳と発達段階社会的知性の発達友情のために人を欺くなんて変じゃないかな?青鬼は赤鬼想いだね!青鬼は自分を犠牲にして赤鬼を救っているんだ!どうすれば、違った人たちの間で仲良く暮らすことができるんだろう?特集教科書になる道徳考える道徳と知性の役割プール学院大学教授越智 貢06 No.10