ブックタイトル教育情報 No.15
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教育情報 No.15
新元号「令和」によせて 新元号である「令和」にはどのような意味が込められているのでしょうか。新元号にまつわる話題をお届けします。 新元号「令和」の出典は万葉集であり、日本の古典に由来する元号は初めてということで話題となりました。万葉集は、大伴家持が編纂したとされる、現存する日本最古の歌集です。天皇や皇族から農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ、約4500首の歌が収められています。 初春の令月にして、気淑く風和ぐ。 梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。(小学館『新編日本古典文学全集7 萬葉集②』より) これが「令和」の典拠である万葉集の一部、「梅花の歌三十二首」の序文の一節です。「令」という漢字には、「令嬢」などの言葉からわかるように、「よい」という意味があり、「令月」で「よい月」を表します。「和」は、「やわらぐ」「なごむ」という意味を表します。この序文からは、和やかな雰囲気で宴が催され、美しい梅に心を寄せている様子を感じとることができます。 では、「梅花の歌三十二首」が生まれた背景はどのようなものだったのでしょうか。 天平2年(730年)、太宰府にあった大伴旅人(家持の父)の邸宅で「梅花の宴」が開かれました。そこには、旅人や山上憶良などの知識人たちが集まり、梅の花をめでる中で32首の歌が詠まれました。これが「梅花の歌三十二首」です。外国からきたばかりの珍しい植物である梅を和歌に詠むという、当時としては最先端のテーマを取り入れた宴だったと考えることができます。 なお、旅人邸があった大宰府は外交や国防のために筑前の国(福岡県)に置かれた地方行政機関のことです。太宰府に滞在し、万葉集に優れた和歌を残した旅人や憶良らは、後に「筑紫歌壇」と呼ばれるようになり、彼らの作品は今も国語の教科書に掲載され、親しまれています。 序文の一節を通じて、美しい情景が目に浮かんできたのではないでしょうか。春のはじまりにふさわしい、美しい和歌から生まれた「令和」。みなさんは「令和」のはじまりに何を思いますか。よひらばいごやわらCD33470日文 教授用資料令和元年(2019 年)6 月15 日発行No.15