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概要

教育情報No.9

特集食育の推進~学校、家庭、地域~学校と家庭の食育をつなぐために東京家政学院大学名誉教授・客員教授江原絢子歴史を通してヒントを探る食に関する教育について歴史的に調査してみると、いつの時代も私たちの先人たちは、より良い食生活をするために工夫を続け、それを、子どもたち次世代に、いろいろな形で伝えてきた様子を知ることができます。そのなかには、現在、私たちが忘れていることや見過ごしていることなどが見えてきて、これからの食育に示唆を得るものもいくつかあります。今回のテーマは、「学校における食育の推進」ですが、ここではあえて、食に関する教育の大半が、家庭で行われていた時代の家庭の様子を検討してみたいと思います。それを通して、社会環境が変化し、家庭のライフスタイルが変わった現代でも、食育に生かせる重要な視点を見出すことができ、学校における食育を考えるヒントを得ることも可能だと思うからです。自ら判断、管理できる能力文部科学省の「食に関する指導の手引」にある「食に関する指導の目標」のなかで、特に注目したいのは、「自ら判断できる能力」、「自ら管理する能力」という点です。それで今も思い出されるのは、東日本大震災のこと。釜石の子どもたちが、荒れ狂う自然に対して、自らの命を守り抜こうとし、自ら判断して行動し、周囲のおとなたちの命を救うことにもつながったという報道です。それは、生きた防災教育として今も私の心に深く残っています。自然が想定を大きく超える可能性を教え、堤防や既存の避難所などに依存することなく、最善を尽くして逃げることなどを教えたとのことでした。指導者の群馬大学片田敏孝先生が『教育情報』(No.3)に詳しく書いていらっしゃいます。食の教育も命を守るための教育といえます。現在は、瞬時の判断が必要な場合は多くはないかもしれませんし、結果がすぐ見えないために軽視されやすいともいえますが、積み重ねの成果が問われるものでもあります。学校でできる食育とは何か、その一端を考えるために少し前の食生活を紹介します。明治・大正時代の子どもの食生活明治・大正時代の子どもの家庭での様子はさまざまですが、聞き書きや本人の思い出を綴ったなかから、紙幅の関係で2例ほど紹介しましょう。明治時代、寺の子として生まれたA子さんは、父親が亡くなり寺を出て大阪住まい。母は紡績会社に勤務し、A子さんが朝ごはんの片づけをして妹を背負って学校に行きました。釜やおひつのご飯はきれいに洗って、干し飯にするのはA子さんの仕事、それを炒り、砂糖で固めておやつを作ってくれるのは母でした。そして、14,5歳になる頃には、母の指導で正月の煮しめや黒豆、棒だらなども教わり、やがて任されるようになったとのことです。家事や子守を子どもが担当しなければ切りまわしていけない家庭の事情があったとはいえ、子どもは少しずつ高度な家事技術も母から学び、自らの命を守るだけの知恵と技能を身につけていったといえるでしょう。また、大正時代、長野県で育った長男Bさんの父は開業医で忙しく、正月など特別の日以外は、家族そろって食事することは少なかったようです。しかし、男の子でも農事のほか、漬物の野菜を運ぶ手伝いや渋柿の皮をむく手伝いなど季節ごとに仕事がありました。皮むきは、母やお手伝いさんといっしょに、子どもたちも加わり、そのうち、細く、長く、薄くむいていく競争が始まります。Bさんの文章からは、楽しい中で手伝っている様子が生き生きと伝わってきます。親も子どもに手伝いをさせながらも飽きないよう工夫しながら、励ましながら行っているのは、どの例にも多かれ少なかれ見られる特徴です。04No.9