ブックタイトル線 Line No.11
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線 Line No.11
はい ふうやなぎだ る 川柳は、浅草で産声をあげ、上野で文芸として成長しました。訪れたのは、川柳発祥の地として、文化の足跡が残る東京都台東区。今年は初代川柳生誕三百年であり、「十六代目 尾藤川柳」が誕生した記念すべき年です。 まずは、京成上野駅の近くにある「誹風柳多留発祥の地」にて、尾藤先生に川柳発祥の話を伺いました。近くの「上野東照宮」では、村田周魚や尾藤三柳の句碑を見ることもできます。 また、川柳文化の祖となった柄井川柳が門前名主をしていた「天台宗龍宝寺」を訪問。初代川柳の墓や句碑、川柳会館など、ゆかりの史跡を巡りました。やすみりえ東京都 台東区を行く五・七・五紀行第二回色のあひるが目を引く碑は、江戸から続く川柳「誹風柳多留発祥の地」を記念したもの。十六代目 川柳を襲名された尾藤先生も、建立に尽力されました。刻まれた句は、「木綿」こと「呉陵軒可有」という人の作品です。「羽のあるいいわけほどはあひるとぶ」は、あひるだって羽があるから飛ぶことができます。川柳だって文芸であるのですから、その作品で世間を唸らせることもできるという意気込みを表しています。 上野界隈は、最初に川柳が栄えた地ということもあり、ゆかりの旧跡や句碑がたくさんある場所。上野東照宮の金TOKYOTaito-kuの東京都 台東区上野公園上野公園天台宗龍宝寺(右)川柳とは文芸名ですが, 元になったのは人名。十六代目 川柳を襲名された尾藤先生と一緒に「誹風柳多留発祥の地」へ。(左上)選句集「誹風柳多留」が世に出て, 十七音独立文芸が確立され, 作品のおもしろさが江戸庶民に受け入れられたという。(左下)川柳公論の出版をはじめ, 学問としての川柳学を樹立した尾藤三柳の句碑。「乱世を酌む友あまたあり酌まむ」という一句。16