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概要

線 Line No.9

 「生涯現役」を貫徹するには、本人の強い精神力が必要であることは勿論のことですが、何よりもまわりの「人間愛」に支えられてこそ自分の生きる力が発揮、持続できるものだということを、父(私にとりましては主人の父であり舅にあたります)は家族に身をもって示してくれました。おかげさまで父の人生目標「生涯現役で百才まで生ききりたい」を見事に達成しまして、一〇〇年と二十一日の生命を全うし、平成二十八年四月二十日に逝きました。生前中多くの皆様から「人間愛」をいただきましたことに、家族一同厚く深く感謝、お礼申し上げます。誠に有難うございました。 九十九才まで要請を受けました小・中学校への指導実践と、それを通して児童や先生方との一期一会を、父はいつも楽しみにしていました。授業をお引き受けするにあたり、事前の段取りを欠かすことなく熱心に取り組んでおりました。文字に対する関心をいかに高めるか、文字感覚を豊かにするためにはどう説明すれば良いのかなどを考えながら、種々の文具と用紙を工夫して教材を作っていました。 九十才を過ぎてからの父は、授業導入にはいつも「このおじいちゃんは何才に見えますか?」という質問から始めていました。児童が「○○才!」と自分の年齢よりも若く答えてくれることを当然のように想定していました。導入のまとめとして「筆記用具を大切に扱い、より美しい文字を書けるように努力・学習すれば、健康で楽しく幸せな人生を送ることができます。書写書道は健康長寿のエネルギーです」と自慢げに結んでいました。 「書写を指導する」技能的な面は、指導の基本であり重要なことですが、常々「書写で指導すること(「を」から「で」への取り組み)の必要性」を唱えていました。平素の学習の中で、集団の中に入りきれない児童や、学力が追いつかずに学習意欲を失っている児童を直感的に察知することにたけた父でした。また、児童が授業の中で発信する何かを素早くキャッチすることがとても上手でした。担任の先生とあらかじめ打ち合わせをすることもなく「つかむ」能力にたけた父でもありました。まさしく「書写で指導する」という「で」の実践を示し、担任の先生から賞讃、感動の言葉をいただいておりました。 「書写は他教科と異なり、正解というものは少なく、一単位時間(四十五分)の授業の中で児童の集中と充実がいかになされたかが勝負である。他の児童との相対的評価ではなく「自己力向上」を認め、そのことを第一義にほめることができる素晴らしい教科である。またそのようにしなければならない」と言っていました。「ほめ育てる」が実践できる教科であると。 父は、五十数年の長きにわたり、毎日小学生新聞の書写の部選者をしておりました。その編集担当係の方から父への弔いの言葉をいただきました文面の中に「児童の文字について年齢に応じた講評をいただきました。元気の良さやお題の選び方もほめていただくなど、子どもに合わせた温かい眼差しがいつも印象的でした。先生のお言葉に勇気づけられ、書の道への愛着を深めた読者も数知れないことでしょう」としたためてくださいました。 「目習い(鑑賞する実践)」においては、正しい文字、美しい文字を「見て書く」。続いて集団で正しい字形作りについて「話し合う」共有時間を児童が作り出していくために、人の話をよく「聞き習う」学習へと導くように、良い接着剤となる指導者にならなければいけないと言っていました。書写は「書く」「話す」「聞く」の三要素が四十五分の中で実践できる教科であると。 家族からは「おやじは書道以外の話はないのか」と生涯言われていました。主人の兄弟(父の息子たち)が訪ねてきたときも書道の話だけして、その後は背を向けてひたすら字を書いていました。長きにわたり大勢の方が父を訪ねてくださいました。「先生、右手が痛くて…年ですね。」「そりゃえらいこっちゃ。左手でどんな字を 書けるか楽しみや。」「子どもが受験で大変で。」「そりゃけっこうなこっちゃ。あなたも書道 頑張るんやで。」「主人が転勤で海外へついていきます。」「そりゃえいこっちゃ。向こうで書道を広め てや。」何から何まで何としても継続一筋でした。 最期に筆をとったのは、亡くなる一か月前、ひかりのくに株式会社の岡本社長様に郵送致しました「敬天愛人」と書いた色紙と、百才を迎え越し方を振り返りながらも、まだまだ書写書道教育の指導に取り組みたいという心情を語った手紙、便箋三枚でした。未来へつながる「今」日本文教出版「小学書写」教科書編集委員関岡昌子19