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概要

RooT No.16 教科書特集号

伝統と文化,数学の歴史伝統工芸品に見られるいろいろな模様わが国では古くからいろいろな模様を,工芸品などに取り入れてきました。我が国の伝統と文化に親しむことができる内容を,数学と関連づけて取り上げました。また,数学が発展してきた歴史を知り,数学への興味がいっそう高まるような内容を掲載しました。和算の歴史歴史・伝統と文化中時代世紀やめふくおかえど竹細工の八女の竹かご(福岡県)江戸時代に発達したわが国独自の数学を,いろいろな編み方わさんはこねよせぎざいくかながわさぬきかがわ箱根の和寄木算細といいます。工(神奈川県)讃岐かがり手まり(香川県)和算が発達したきっかけとして,よしだみつよし吉田光由(1598年~1672年)のじんこうき著書『塵劫記』があります。『塵劫記』は,数の数え方,かけえどきり算このとうきょう九九,そろばん,面積の江戸切子(東京都)求め方など,生活に関連した内容を解説した『塵劫記』「中学和数算学書」へようこそです。かいてい『塵劫記』は何回も改訂小学校で学習してきた「算数」は,中され,そのうちの学校では「数学」になります。数学では,1つの算巻数で末学に,んできたことを,より数学の問題12問広が,く,より解答深をく考えていきます。数学は,示さずに人類が数出千題年されました。そのをかけて発見し,築きあげてきたものです。問題に対して,きそはそして,別の数学和は,算書科が学解や法経済をのせて,またなどの基礎として新重たな要な問役題割を果たしています。したがって,数学を学ぶことは,自然や社会のしくみを知ることにつながります。出題し,それに対して別の和算書が解法をまた,みなさんが将来どのような進路を選ぶとしても,情報化や国際化がさらにのせて,また新しい問題を出題するという進む社会のもとでは,数学を学ぶときに身につけていく“考える力”やひきょうと“伝え合ことをくりう力”が,これから返しました。必要な“生きる力”となっていくことでしょう。『塵劫記』の記念碑(京都府京都市)いだいけいしょうこの教科この書を活習用慣して,しっかりとしたを遺題継承といい,数学江の戸基時礎を代身ににつけてください。長く続いたといわれています。遺題継承が行われているなかで,せきたかかずいだい関孝和(1640年ごろ~1708年)という偉大な和算家がはつびさんぽうきんじち現れました。関孝和の著書『発微算法』では,円周率の近似値を小数点以下10けたまで正確に求めたり,次数の大きい数学の歴史―私たちが学んできた数学の源―多元連立方程式の研究をしたりするなど,当時としてはきわめてかつやくわさん古代ギリシャで活躍した数学者たち水準の高い数学の内容わががかかれていました。国独自の数学である「和算」を築いた数学者たちてつがく古代ギリシャでは,数学と哲学は密接な関係にあり,数学も哲学も,ともに大きく発達した。かれでし江戸時代,たけ多べくのかた和ひろ算家が活躍した。彼の研究は,弟子である建部賢弘(1664年~1739年)をよしだみつよしせきたかかずたけべかたひろいのうただたかタレスピタゴラスプラトンユークリッドアルキメデスエラトステネスせき吉田光由関孝和建部賢弘伊能忠敬B.C.624ごろ~B.C.546ごろB.C.572ごろ~B.C.492ごろB.C.427ごろ~B.C.347ごろB.C.300ごろB.C.287ごろ~B.C.212はじめとして,B.C.275ごろ~B.C.194ごろ多くの和1598~1672算家たちに受けつがれ,1640ごろ~1708関流という1664~1739流派が1745~1818でし和算の代表的なできました。建部賢弘は,円周率を小数点以下41けたまで関孝和の弟子求。めたと書物である彼の研究は,西洋のじんこうきいわれています。『塵劫記』の著者。数学者の研究にひってき『塵劫記』に問題をやまがた匹敵すると和算の流派としては,関流のほかに,山形県出身の出したところから,いわれている。げんろんあいだやすあきいだいけいしょうさいじょう三角形の相似をピタゴラス学派をつくり,哲学者として数学に著書『原論』では,球の表面積や体積を会田素数安を明見つける(1747年~遺1817題継承年が)に代表和される算において最も上流や,関あいだ西やすをあきおうごんひえいきょう使って,三平方の定理,黄金比,大きな影響を図形の性質を,定義や求める公式を発見した。方法である始まり,和算の活躍した数学者の会田安明天体観測の技術や1747~1817ピラミッドの高さを正多面体の数,あたえた。今の大学に定理などを用いて物理学や天文学に「エラトステネスの発達につながった。一人。数学の知識をかれせき測った。無理数などを発見した。あたる学校をつくった。体系的に位置づけた。おいても活躍した。ふるい」を考え出した。彼の学派を関流と関流と論争を交えた生かして,17年さいじょう230数学マイトライ学派である最上流をかけて日本全国をB.C.は紀元前,A.D.は紀元後のこといい,多くの和算家が活躍した。代表する和算家の測量し,日本全図を一人。つくった。たいしょう大正あすかなんぼくちょうせんごくあづちじょうもんやよいこふん飛鳥ならへいあんかまくら南北朝むろまち戦国安土えどめいじしょうわへいせい縄文弥生古墳奈良平安鎌倉室町ももやま江戸明治昭和平成桃山B.C. A.D.1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21▲1年巻頭見返し▲3年P.230(巻末〈数学研究室〉)51015202530510152025習さん算残あ喜絵算苦仏こ自愛しわこい江中国の数学きゅうしょうさんじゅつ九章算術1世紀ごろまでにかかれた,中国で最も古い数学書。りゅうき263年に数学者劉徽によって,ちゅうしゃく注釈書が出版された。そん孫しさんけい子算経4~5世紀にかかれた中国の数学書。方程式の問題,除法の商と余りの関係の定理そ祖ちゅう沖し之429ごろ~500ごろ円周率の近似値として,22 7を求めた。れきまた,暦の研究で近世数学の黄金時代17~18世紀にかけて,ヨーロッパでは多くの数学者により,さまざまな研究がなされ,数式,図形,関数,きそ確率,統計など,現代の数学の基礎がほぼ確立した。哲学や物理学,天文学とのかかわりが強かった。デカルト1596~1650フランスフェルマー1601ごろ~1665フランスパスカル1623~1662フランスライプニッツ1646~1716ドイツオイラー1707~1783スイス第8章に「方程」がある。などがかかれている。有名である。インドの数学古代バビロニアでは,インドでは紀元前より数学が発達したと正方形の対角線の長さをいわれている。私たちが使っている数0は,計算していたといわれている。インドではじめて使われ,数学者ブラマグプタ(B.C.1800ごろ)ねんど粘土板にかかれた正方形と対角線(598ごろ~660ごろ)は,正の数と負の数の計算をしたといわれている。インドの数学は,アラビアの数学に影響をあたえた。物理学や天文学の研究から発達した数学物理学者や天文学者は数学を使いながら,いろいろななぞの解明を試みた。その結果,数学とともに進歩した。古代エジプト(B.C.3000ごろ~B.C.30)では,33辺の比が3:4:5の直角三角形を使って,正確な直角をつくったといわれている。45アラビアの数学アラビアで9世紀ごろから発達した数学は,近世ヨーロッパの数学に大きな影響をあたえた。いっぱん一般的な計算方法をアルゴリズムとよぶのは,数学者アル・フワリズミ(780ごろ~850ごろ)が語源であるといわれている。ガリレイ1564~1642イタリアケプラー1571~1630ドイツニュートン1642~1727イギリスガウス1777~1855ドイツアインシュタイン1879~1955アメリカ▲3年巻末見返し21