ブックタイトルRooT No.25
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RooT No.25
数学偉人伝読 み 解 く !フィボナッチ フィボナッチ(1170 頃~ 1250 頃)といえば,「ウサギの問題」がよく知られています。彼の作品は5 点が残っていて,この問題は『算そろばん盤の書』(1220,改訂版1228)で紹介されています。 やってみましょう! 1 日目(スタート)は,赤ちゃんウサギが1 組 1ヶ月後,成長した大人ウサギが1 組 2ヶ月後,大人ウサギ1 組,赤ちゃんウサギ1 組 3 ヶ月後,大人ウサギ2 組,赤ちゃんウサギ1 組 4 ヶ月後,大人ウサギ3 組,赤ちゃんウサギ2 組 5 ヶ月後,大人ウサギ5 組,赤ちゃんウサギ3 組 : このような感じでず~っと続いていくわけです。さあ,ウサギの組数を最初から並べると, 1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144,233,377,……したがって,1 年後(12 ヶ月後)には233 組のウサギが跳び回っていることになります。 お気づきのように,この数列は直前の2 つの項の和が次の項になるという作りになっています。第n 項をFn で表すと,この数列は,F 1=1,F 2 =1,Fn +2 =Fn +Fn +1と定義されます。これがよく知られている「フィボナッチ数列」です。 実際にはウサギがこんなに都合よく増えるわけはありません。フィボナッチ自身もこの問題を「数学を使った遊び」として出題しています。ところが,この数列は「空想の産物」ではなかったのです。 フィボナッチ数列が(特に算数・数学の先生方の間では)とても重要であまりに有名なので,みなさんはこの数列がフィボナッチの最大の業績なのだと思われるかもしれません。しかし,彼が「中世ラテン世界最大の数学者の一人」と呼ばれる所ゆえん以は,そこではありません。彼がいなかったら,現在の小学1 年生はノートに1,2,3,……と書いてなかったかもしれないのです。 フィボナッチの生没年は不明です。彼の生涯についてはわずかの記録しか残っていません。 まず,彼の本名は,レオナルド・ダ・ピサです。レオナルド・ダ・ヴィンチに似てますよね。これは,「ピサ出身のレオナルド」,「ヴィンチ出身のレオナルド」という意味です。「フィボナッチ」というのは,「ボナッチの息子」という意味。こちらの名前のほうがよく知られています。 フィボナッチは幼い頃,商人だった父(この人の愛称がボナッチオ)と一緒に北アフリカのブギアという町で生活を始めます。そこで彼は自分の知らなかった数の表記法に出会います。アラビアの商人たちが,インド・アラビア数字を用いた位取り記数法を使っていたのです! 今となってはちょっと信じられないくらいですが,当時のイタリアではローマ数字が使われていました。私たちがインド・アラビア数字で「2019」 フィボナッチが取り組んだのは商業数学の分野だけではなく,円の計測,三角法,数論,無理数など実用を超える内容にまで及びました。しかし,彼の最大の業績は,やはり,ヨーロッパにインド・アラビア記数法を紹介したことでしょう。 そうそう,分数の横棒(あれを「括かつ線せん」と呼ぶそうです)を最初に使ったのが,フィボナッチです。これも『算盤の書』で導入されています。 ちなみに,「ピサの斜塔」の建築は1173年から始まっています。フィボナッチは,きっと塔の建築の様子を見ていたことでしょう。彼の銅像は,ピサのドゥオモ広場にまっすぐに立っています。フィボナッチのウサギピサのレオナルド,北アフリカへレオ,十進位取り記数法に出会うレオ,分数に横棒を入れる●桐蔭横浜大学准教授 城田 直彦私の名前がついた数列が自然界で愛されているらしいオスメス1 組のウサギが生まれた。1 組のウサギは,2 ヶ月目から毎月オスメス1 組のウサギを産む。死ぬことはない。すべてのウサギがこの規則にしたがえば,1 組のウサギは1 年後には何組になるか。問題各種の花の花びらの枚数,松ぼっくりやパイナップルの表面に見える螺ら旋せんの数,ヒマワリの種の並びに現れる螺ら旋せんの数など,自然界にはフィボナッチ数が登場する場面が多くあるそうです。参考文献『 フィボナッチ[アラビア数学から西洋中世数学へ]』三浦伸夫(現代数学社、2016)ほかと表す数を,ローマ数字で「MMXIX」と表していたのです。どちらも十進法であることは同じですが,インド・アラビア数字のこの簡潔さ! しかも,百の位には数がないことを示す「0(空位の0)」が使われています。「ブラボー! 位取り記数法って,数を表すにも,筆算するにも,むちゃくちゃ便利ではないか!」 フィボナッチは,その後,エジプト,シリア,ギリシア,プロバンスなどを旅する中でインド・アラビア記数法と計算法を習得します。そして,帰国後の1202年に『算盤の書』を出版,十進位取り記数法・計算法をヨーロッパに伝えるのです。 新たな記数法がすぐに広まったわけではありません。しかし,その便利さが次第に認められ,活版印刷術の普及にも後押しされ,16 世紀半ばにはローマ数字を駆逐し定着したようです。16 算数・数学情報誌 ROOT No.25 算数・数学情報誌 ROOT No.25 17