ブックタイトル生活&総合navi vol.69
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生活&総合navi vol.69
ともとは野生植物である。品種改良によって今では人がいなければ育たないこれら栽培植物もすべて原種があり,ヒトを含むさまざまな野生動物の食べ物でもある。ではベリーは動物のためにあるのだろうか?そうだとすると,そのことで植物は何を得るのであろうか?ベリーをつくるためには,葉で光合成した生産物を大量に投入する。動物は喜んで食べるが,食べられることは植物には何のプラスもない。生物はプラスにならないことは決してしない。逆にいえば,していることはすべてプラスになる。ではおいしいベリーをつける意味は何であろうか。それはまぎれもなく,種子を散布してもらうためである。ベリーの中には種子が入っている。これが植物の作戦である。哺乳類や鳥類においしいベリーを提供して,その見返りに種子を運んでもらおうというのである。植物は動けない。親植物の下にポトンと種子が落ちても,暗いから発芽率は低く,発芽したとしても生育がよくない。そういう意味で,親植物は若い植物の敵なのである。そのためになんとかして親植物から離れようとする。いや,それは逆で,親植物が子どもを自分から離そうとする。そのための有力な手段の一つが種子を動物に食べさせるということである。動物に食べてもらうためには,食べてもらったあとに「おいしい」と思ってもらうのでは十分ではない。食べてもらう前に「おいしそうだ」と思ってもらうほうが有利である。つまり広告が必要である。その一つが色である。葉は*クロロフィルを主体とするから緑色である。その緑色の中で最も目立つのが,補色である赤である。森でも草原でも,緑の中で最も広告効果があるのが赤であり,そうであるから多くのベリーが赤い色ばんりょくそうちゅうこうなのである。まさに「万緑叢中紅いってん一点」である。ガマズミのベリー5幼児の赤好きを考えるこのように考えると,幼児が赤い色を好むのは,血や火のように衝撃的な色だからではなく,ベリーの色だからだという説明のほうが説得力がある。狩猟採集をしていた長い間,母親に連れられてベリーを摘みに行った子どもは,遊びとしてベリー摘みをしたであろう。薮の中にある赤い実を見つけるのは楽しい作業である。子どもは隠れているものを見つけることが大好きだ。わたしたちが子どもの頃,「ドロップ」と言う缶入りのキャンディーがあった。缶の上に小さな穴があって,缶を逆さまにして振ると一粒が出てくるのだが,それが同じ種類ではなく,いろいろな種類が入っていた。色も味も違うので,どういうのが出てくるかが楽しみだった。思えばあれは,われわれの祖先の子どもが薮の中からベリーを見つける行動そのものだと思う。ヒトは,ベリーやナッツを好むサルであった。そのDNAはわれわれにも伝わっているに違いない。そういう好みが子どもの行動に現れ,赤い色が好きなのであろう。6乳児から幼児へ三歳くらいまでの子どもは,言ってみれば本能の赴くままに生きている。とくに一歳までは生まれた社会にかかわらず,お乳を飲んで排泄をし,眠り,起きては泣き笑いをする。やがて離乳し,普通の食べ物を食べるようになり,初めは手づかみで食べているが,そのうち箸を使って食べるようになる。国によって食べ物や食べる道具等に違いはあるが,徐々に「本能の赴くままに」から「その社会らしい」行動をとるようになる。子どもの行動を動物学的に見ると,いろいろ面白い。一,二歳までは,男女にかかわらず動物や人形などに興味をもつ。庭に出すと昆虫など動くものに反応する。動かないものよりも動くものに反応することも動物学的に説明できるかもしれない。乗りものはヒトの進化にはなかったが,子どもが乗りものを好むのは動くものを好むことの延長線上にあるのだろう。それが出発点で,そこに,大きな力をもつものへのあこがれや,働く人へのあこがれなどが付加的な魅力となるのかもしれない。五,六歳になると,男の子は乗りものやスポーツ,ゲームなどで遊び,女の子はままごとや人形で遊ぶ傾向がある。もちろん男女共通の遊びもあるが,一,二歳に比べれば男女の違いがはっきりしてくる。この違いは自然発生的なものもあるだろうが,すでに言葉を覚え,文字さえ覚えている年齢であるか*クロロフィル…葉緑体に含まれる緑色色素。9