ブックタイトル生活&総合navi vol.69
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生活&総合navi vol.69
論壇ら,育った文化の影響を濃厚に受けているに違いない。7文化的影響もし男女の違いがまったくない社会に育った場合,子どもがどういう遊びをし,どういうものを好むようになるかは大変興味があるところである。このことは同時に,教育のもつ意味がいかに大きいかを意味する。子どもは食べ物の見た目や匂い,あるいは舌触りが気持ちが悪い食べ物を大人以上に拒否する。それを栄養バランスの説明をすることなどで是正するのが教育である。つまり,教えることで嫌いなものを好きにするわけである。子どもは動くことが好きで,飛んだり跳ねたり走ったりするが,ほかの子と遊ぶようになると「かけっこ」という一種のルールのある遊びを覚え,さらにはスポーツをするようになると複雑なルールを覚えるようになる。これは,もともとある欲求を文化的なものでさらに助長することであろう。嫌いなものを好きにするのも,好きなものをさらに好きにすることも教育のよい面だと思う。問題は,本来好きなものを嫌いにしてしまうことである。8糞虫とシデムシわたしは少年時代から昆虫が好きだった。今も野山に出かけて調査をするので,少年時代の延長といえるかもしれない。そのせいで,今でも野山を歩くときは,昆虫には目を光らせている。長野県のある調査地で調査を始めてしばらく,わたしは糞虫の姿を見ることがなかった。それに野生動物の糞を見ることもほとんどなく,動物の死体を見ることもなかった。最近は自動撮影カメラが普及したので,設置しておくと,ツキノワグマ,タヌキ,キツネ,アナグマなどいろいろな哺乳類が生息していることはすぐにわかった。にもかかわらず糞も死体もみないのである。ある年,学生と一緒に糞虫と死体分解昆虫(シデムシ)を調べることにした。そのためにトラップ(ワナ)をつくることにした。糞虫トラップは,小さなバケツを地面に埋め落とし穴のようにして,バケツの上に割り箸をわたして,その割り箸にティーパックをぶらさげて,その中にウシやウマの糞を入れておくもの,一方,シデムシトラップは,ペットボトルを加工して,側面に「窓」を開けて,中にマウスの死体をぶら下げるものである。これを森にしかけた。翌日,トラップを見て驚いた。見たこともなかった糞虫や死体を分解するシデムシの仲間がたくさん入っていたのである。この昆虫たちを見てわたしはたちどころに「森の話を聴いた」気がした。わたしが野生動物の糞や死体を見なかったのは,こういう分解者たちがたちどころに分解していたからである。逆に言えば,彼らがいなければ森には糞や死体があちこちにあるはずである。いないとサルの糞を運ぶオオセンチコガネ思っていたときは,何も起きていないと思っていたが,そうではなく死体も糞もあり,消えているという森の話が聴こえていなかっただけのことである。9糞虫の評価さて,糞虫やシデムシに対するわれわれの評価はどうであろう。例えば,小学生の男の子が糞虫を見つけて家に持ち帰ったとしよう。「まあいやだ,そんな汚い虫,早く捨ててきなさい」多くの母親はそう言うのではないだろうか。それはある意味で適切な発言である。糞は不潔である。自然界には危険なものも不潔なものもたくさんあるから,注意して適切な対応をすべきである。だがわたしが問題としようとしているのは,ヒトというサルの一種であるわれわれの本来の行動との関係である。10変わらないもの原人の頃から,いつの時代でもヒトの子どもは野外で遊んでいた。そして動物を見つけて捕まえてかまれたり,毒虫にさわって手がはれたりすることもあったろう。そうした危険を体験し,繰り返さないようにしたであろう。そういうことや,どこに行けばどういう動物がいるか,おいしい木の実はどこにあるか,といったことを年長の子が教えることもあったろう。そうしたことは日本社会で言えば昭和30年くらいまでの,農業的社会が健康であった時代までは続いていた。都市の空き地にも昆虫はたくさんいたし,ちょっとした10