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概要

社会科NAVI Vol.14

地域からの発信上毛かるた-継承と活用への取り組み-●群馬県生活文化スポーツ部文化振興課文化づくり係宮﨑奈那子『上毛かるた』の誕生群馬県内で育った人ならば誰でも知っている『上毛かるた』。『上毛かるた』が誕生したのは,1947(昭和22)年12月です。このころは,終戦の翌々年で,国中が荒れ果て,人びとの心は悲しみや無力感であふれていました。当時,戦争の犠牲者の方々に援護の手を差しのべる目的で組織されていた恩賜財団同胞援護会群馬うらのまさひこ県支部の責任者となった浦野匡彦氏(後の財団法人群馬文化協会初代理事長)は,暗く,すさんだ世の中で「せめて子どもたちには何群馬県●人口1,973,000人●面積6,362km2(平成27年現在)か与えたい。明るく楽しく,そして希望のもてるものはないか」と考えていました。1946(昭和21)年,引き揚げ者大会(同胞援護会群馬県支部主すだせいき催)に参加していた須田清基牧師から,「台湾にいた時,子どもにかるたを作って遊ばせた」という話を聞き,そうだ!郷土を誇りに思えるかるたを作りたい,と思ったそうです。当時,主食になっていたさつまいもが,農家の軒下に山積みになって傷みかけているのを見て,「もったいない!これを生かせるものはないか」と考え,デンプン飴である「はらから(同胞という意味)飴」を発案しました。農家の人に提供してもらったさつまいもを工場に運び,加工工場でつくられた飴を農家の人に渡し,販売し,売り上げの一部が同胞援護会群馬県支部に納められるという仕組みをつくったのです。これは,農家の人・工場に運ぶ人・工場で働く人・販売する人らの生活資金や同胞援護会の活動資金になるとともに,『上毛かるた』発行の資金源にもなりました。1947(昭和22)年1月,浦野氏は『上毛かるた』と名づけ,「郷土を荒廃から救おう」という趣旨で上毛新聞紙上に制作構想を発表し,題材を公募しました。これには,272件の題材が寄せられ,18人の編纂委員で作業が始まりました。新しい時代にふさわしい内容のものにしたいと群馬県を代表する題材を厳選しました。新しい仮名遣いや制限漢字のことに気を遣いながら,読みやすく覚えやすい七五調にして44枚におさめるというのは大変難しい作業でした。また,GHQ(連合国軍総司令部)の支配下という時代,厳しい検閲の中,何とか説得しようと交渉する姿は,まさに命がけだったと言えます。▲詠み札「つ」▲絵札「つ」そして,詠み言葉が完成。絵札を小見辰男氏,詠み札裏の解説を丸山清康氏が担当しました。詠み札の裏に書かれている解説も『上毛かるた』の特徴の一つであり,これは毎年書きかえています。絵札は,1968(昭和43)年に小見氏の要望によって全札描きかえられました。発行の翌年,1948(昭和23)年2月に,「第1回上毛かるた競技大会」を開催。このことが,多くの子どもたちに競技性があり楽しめる遊びとして受け入れられ,学16社会科NAVI 2016 vol.14