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概要

社会科NAVI Vol.16

ようこそ!歴史史料の世界へvol.17 天保の改革が頓挫して水野忠邦が失脚したあと,幕閣を率いたのは阿部正弘である。阿部は,1849年12月,外交方針をめぐる布達[①]を発し,天保期の穏便な対処を求める薪水給与令から文政期の強硬な異国船打払体制への復帰を予告するとともに,諸大名に防備の強化を命じた。 ただし,単純な復帰を意図したものではなく,対外強硬姿勢への転換を目指す一方で,百姓町人に至るまで,それぞれの分を尽した協力を命じて,独立を守るためには,「惣国之力」「日本闔こう国こく之力」を尽くした力の結集が必要だとの認識をも示した。身分制的枠組を超えた「惣国」「闔国」といった国家的視座が提示されたところに新しい時代への萌芽を読み取ることができる。日米和親条約締結は,開国を意味するか●聖徳大学教授 大庭 邦彦強硬な打払体制への「復帰」を目指す▲ ① 1849 年に阿部正弘が出した布達 ( 海岸防禦之儀ニ付被仰渡御請証文(写),千葉県文書館蔵)? 阿部正弘(1819 ~ 57 年, 福山誠之館同窓会蔵)18 社会科NAVI 2017 v ol.16