ブックタイトル社会科NAVI Vol.17
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社会科NAVI Vol.17
●八杉 佳穂 (やすぎ よしほ)中米言語学,文字学,中米文化史『マヤ文字を書いてみよう読んでみよう』(2005 年,白水社),『チョコレートの文化誌』(2004 年,世界思想社),『マヤ文字を解く』(2003 年,中央公論新社)国立民族学博物館(みんぱく)では,11月5日(日)の映画会「みんぱくワールドシネマ」で「,火の山のマリア」を上映します(無料。ただし,展示観覧券が必要です)。詳しくはみんぱくのホームページhttp://www.minpaku.ac.jp/museum/event/fs/をご覧ください。専門分野主要著書ほかれる。社会は,支配し収奪する側と支配され搾取される側に分かれてしまった。支配者のスペイン人は少なかったため,混血が進み,ラディーノと呼ばれる人々が社会の主流となり,マヤ人達は下層に追いやられた。それは現在に引き継がれている社会の基本構造となっている。 内戦の激化やグローバル化によって,1980年代からの社会の変わりようは激しい。1996年には,30年以上続いた内戦が終結して,平和な社会になると期待された。確かに現代文明の恩恵がいたるところにみられ,経済規模が大きくなり,働く場所も増えた。いまではだれもが携帯電話を持ち,また,テレビやコンピュータを通して世界と接することができる。しかし,征服以後から続く社会の不均衡は解消されず,グローバル化とともに,貧富の差は一層大きくなり,犯罪が多発する社会となっている。 現代化がもっともよく見えるのは,女性の服装と町村の風景であろう。1970年代まで,各村には各村の習俗があり,村特有の民族衣装があったが,80年代に入ると,伝統的な腰機(織機)を使って上衣(ウィピル)を織る女性は少なくなった。のどかで美しい村の風景も,1976年の大地震後,瓦屋根はトタン屋根に,壁はブロックに変わり,また出稼ぎの金の流入で新築の建物が増え,一変した。グアテマラ市は高層ビルが建ち並び,急増した人や車でごった返している。 マヤ人達の間の意識の変化も顕著で,支配から脱却する意識が拡大し,自分たちの尊厳を守るため,親から伝えられた伝統や言語を大切にする運動が顕著になった。1990年にはマヤ言語アカデミーが創立され,自分たちの母語を大切にする制度が確立した。しかし政府の資金や国外からの援助の減少で,その運動もピークを越えた。 カクチケル人は首都のグアテマラ市に近いところに住んでいる。そのため主食のトウモロコシに加え,野菜や果物など,巨大な人口を養う食糧供給地帯となっている。またグアテマラ市に毎日バスで働きに行ける距離であるため,都市を支える仕事に就く人も多い。 しかしながら,いまでも生活の基本は変わらない。電気や水道は引かれたものの,停電はよく起こるし,水道は各家庭1カ所しかないのがふつうである。料理は,薪をつかい,トウモロコシを使った主食であるトルティリャやタマリットに,スープや肉や野菜が添えられることがあるが,概して質素である。 子供達は学校に通うようになり,スペイン語を当たり前のように話せる子が増えたが,町から離れたところには,公用語であるスペイン語を話せない,読めない人がいまだにいる。グアテマラ社会でマヤ人達は多数を占めているのにもかかわらず,不利益はいたるところにみられる。それは映画だけの世界ではない。▲ カクチケルの女の子シェリーとともに▲ アンティグア・グアテマラの有名なアー チとアグア山社会科NAVI 2017 v ol.17 11