ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

社会科NAVI Vol.17

ようこそ!歴史史料の世界へvol.18 奈良時代の和銅6(713)年,諸国に対し郡郷名に好字をつけること,また産物や土地の肥沃,古老の伝える神話伝承を報告するよう命令が出された。この命令で編纂されたのが風土記で,その中身は国内の郡ごとに郡・郷や山川などの名称の由来,産物などを書き上げた地誌である。記述の中心を占める地名の由来とは,歴史的事実を記したものは少なく,多くが地名に関する神話・伝承である。 奈良時代には60 余りの国があったが,このとき提出された風土記のうち,唯一ほぼ完全な形で現在に伝えられているのが『出雲国風土記』で(島根郡の一部のみ脱落あり),完成年月日,編纂にあたった人物が記載されている唯一の風土記でもある。完成年は天平5(733)年2月30 日。『古事記』(712 年),『日本書紀』(720 年)などと同時代の史料である。 『出雲国風土記』の性格を考えるとき,最も重要なのは最後に編集責任者として署名する出いず雲もの国くにの造みやつこ出いず雲もの臣おみ広ひろ島しまである[②]。先に記したように,風土記撰進の命令は本来国(国司)に対して出されており,出雲以外の風土記の編者は国司であると考えられている。当時の国司とは近畿地方からの派遣官僚なので,出雲以外の風土記は,現代でいえば県レベルでまとめられているものの,中身は中央政府の立場で書かれている。 これに対し,出雲国造出雲臣というのは,古墳時代,6世紀頃から続く出雲の地域社会の首長であり,出雲臣は後に出雲大社の宮司家となって現在に到っている。彼によってまとめられた『出雲国風土記』は奈良時代唯一の地域の立場からまとめられた典籍ということができる。 さて,『出雲国風土記』の冒頭近くに,意お宇う郡の地名由来として,いわゆる国引き神話が記されている。「意お宇うと号なづくる所ゆ以えは…」で始まるこの神話は,八や束つか水みず臣おみ津つ野ぬ命のみことという神が最初小さかった出雲国を大きくしようとして,「栲たく衾ぶすま志し羅ら紀きの三み埼さき」ほか日本海沿岸の遠隔地から土地を引き寄せ,今の三瓶山と大山を杭にしてつなぎ止めた。国引きを終えて杖を突き立て「おえ」といったことから意宇(郡)という地名ができたというもので,出雲における国土創成神話である。意宇郡とは出雲国造出雲臣の本拠地なので,これは出雲国造による『出雲国風土記』の神話●島根県古代文化センター専門研究員 平石 充現存する唯一の風土記完本出雲国造による編纂と国引き神話▲ ① 『出雲国風土記』冒頭(島根県古代文化センター所蔵) ▲ ② 『出雲国風土記』巻末署名 (島根県古代文化センター所蔵)12 社会科NAVI 2017 v ol.17