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概要

社会科NAVI Vol.17

出雲の政治的統合過程を神話化したものと考えられている。 また,国引き神話は『出雲国風土記』のなかで最も長い条文で,「河船の毛も曽そ呂ろ毛も曽そ呂ろ」に見えるように擬態語などを含む口語表現があり,同じフレーズが繰り返される。この神話も文章で残されている以上,なんらかの形で編集の手を経た神話ではあるが,おそらく出雲で実際に「語られてきた神話」の要素を色濃く残していると考えられている。 一方,中央政府の国土創成神話は,『古事記』『日本書紀』に語られるイザナキ・イザナミによる国生みからはじまり,神武天皇の即位でおわる。基本的に天皇を中心とした古代国家の国土支配を正当化するために,編集・体系化された神話だということができる。両者は全く異なる神話であって,『古事記』『日本書紀』には国引き神話は登場せず,『出雲国風土記』にも基本的に国生み神話は見えない。 まとめると,地域首長によって記された『出雲国風土記』には,古代国家によって体系化された神話・伝承とは異なる,地域社会が本来的に有していた神話が記されている,といえる。もちろん国引き神話も地域首長による政治的な神話で,本当に出雲の民間で語られていたかどうかはわからない。それでも,『出雲国風土記』に記される神話は,古代社会で実際に語られた神話がどのようなものであったのかを考える上でたいへん貴重な素材なのである。■『出雲国風土記』意宇郡条(国引き神話) 意お宇うと号なづくる所ゆ以えは,国引き坐ましし八や束つか水みず臣おみ津つ野ぬ命のみこと,詔のりたまひしく,「八雲立つ出雲の国は,狭さ布ぬのの堆つもれる国なるかも。初はつ国くに小く作らせり。故かれ,作り縫はな」と詔りたまひて,「栲たくぶすま衾志し羅ら紀きの三埼を,国の余あまりありやと見れば,国の余あり」と詔りたまひて,童おとめ女の胸むなすき?取らして,大魚の支き太だ衝つき刎ねて,波は多た須す々す支き穂振り刎ねて,三身の綱打ち挂かけて,霜しもつづら黒葛闇くる耶や闇くる耶やに,河船の毛も曽そ呂ろ毛も曽そ呂ろに,「国くに来こ,国来」と引き来縫へる国は,去こ豆づの折おり絶たえよりして,八や穂ほ米しね支き豆づ支きの御埼なり。 かくて堅め立てし加か志しは,石見国と出雲国との堺なる,名は佐さ比ひ売め山,これなり。また,持ち引ける綱は,薗の長浜,これなり。 また,「北門の佐さ伎きの国を,国の余ありやと見れば,国の余あり」と詔りたまひて,童女の胸?取らして,大魚の支太衝き刎ねて,波多須々支穂振り刎ねて,三身の綱打ち挂けて,霜黒葛闇耶闇耶に,河船の毛曽呂毛曽呂に,「国来,国来」と引き来縫へる国は,多た久くの折絶よりして,狭さ田だの国,これなり。 また,「北門の良波の国を,国の余ありやと見れば,国の余あり」と詔りたまひて,童女の胸?取らして,大魚の支太衝き刎ねて,波多須々支穂振り刎ねて,三身の綱打ち挂けて,霜黒葛闇耶闇耶に,河船の毛曽呂毛曽呂に,「国来,国来」と引き来縫へる国は,宇波の折絶よりして,闇くら見みの国,これなり。 また,「高こ志しの都つ都つの三埼を,国の余ありやと見れば,国の余あり」と詔りたまひて,童女の胸?取らして,大魚の支太衝き刎ねて,波多須々支穂振り刎ねて,三身の綱打ち挂けて,霜黒葛闇耶闇耶に,河船の毛曽呂毛曽呂に,「国来,国来」と引き来縫へる国は,三穂の埼なり。 持ち引ける綱は,夜よ見み島なり。固か堅ため立てし加志は,伯耆国なる火神岳,これなり。「今は国引き訖おへつ」と詔りたまひて,意お宇う社のもりに御み杖つえ衝き立てて,「意お恵え」と詔りたまひき。故,意宇と云ふ。 謂いはゆる意宇社は,郡家の東北の辺,田の中にある塾,これなり。周八歩許り。その上にひともとのきありて茂れり。         『松江市史史料編3 古代・中世編』より引用志羅紀の三埼(朝鮮半島)北門の佐伎の国(隠岐か)・良波の国高志の都都の三埼    (珠洲)支豆支の御埼狭田の国闇見の国薗の長浜▲佐比売山夜見島 (三瓶山)火神岳( 大山)▲出 雲 国∴三穂の埼き づ きさ だくら みさ ひ め意宇社お  う▲ 国引き神話概念図▲ 支豆支の御埼から見た佐比売山と薗の長浜(島根県古代文化センター提供)●平石 充(ひらいし みつる)専門分野/日本古代史主要著書/『解説 出雲国風土記』(編著 島根県古代文化センター, 2014年),『松江市史 通史編1 自然環境・原始・古代』(編著 松江市史編集委員会,2015年)。社会科NAVI 2017 v ol.17 13