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概要

社会科NAVI Vol.20

和歌山県白浜町発信地域からの●人口 21,533 人●面積 201km2 ( 平成27年現在)完全養殖クロマグロの誕生と未来●近畿大学水産研究所 所長 升間 主計 水産研究所は,戦後間もない1948(昭和23)年に初代総長であった世耕弘一の「戦後日本の復興は食料の生産が基盤である。陸上の土地の耕作だけでなく,海を耕して海産物を増やすことが必要である。」との理念のもとに創設された。その世耕総長の理念を実現したのが,第2 代水産研究所所長の原田輝雄教授であった。原田教授が世耕総長から課せられた使命は,「研究と経営の両立」と「有為な人材の育成」であった。 当時の海水養殖はノリ,カキが主体でブリ養殖が1 か所のみ,施設は湾を堤防で仕切った大規模な築ちく堤てい式しき養殖法によるものであった。そこで原田教授は,1954(昭和29)年から白浜の第一養魚場でのブリ養殖と平行して,化繊網を用いた網あみ生いけ簀す式しき養殖法の開発を進め,この養殖法は国内外に広まっ 1960 年代には,世界的な海洋開発時代の幕開けと,マグロ類などの国際資源(公海域にも広く分布・回遊するマグロ類,サケ・マス類等の資源)の管理という風潮が急速に高まっていく。その中で,日本は自主的にクロマグロなどの国際資源について増養殖技術開発に着手する姿勢を示すとともに,その成果をあげる努力を続ける必要があった。 そこで1970(昭和45)年に水産庁は,クロマグロの増養殖技術を開発するための大型プロジェクトを世界で初めて開始した。近畿大学は養殖や種苗生産の技術開発に取り組んできていたことから,プロジェクトメンバーの一員として加わることになった。3 年間の プロジェクト終了後も独自に研究を継続し,1979(昭和54)年には大島実験場の網生簀に活け込んだ(天然魚を漁獲して網生簀へ収容すること)ヨコワ※が満5 歳(平均体重70 kg )に達した同年6 月20日の夕刻に産卵した。世界で初めての成功となった。そして採卵した卵をふ化させ飼育を試みたが,全長約6 cm までに全滅してしまった。1980(昭和55),1982(昭和57)年にも産卵したが,それからは産卵せず技術開発は停滞した。原因もわからないまま時が過ぎ,11年間にわたって産卵が起こらなかった。その後,宮下盛教授の研究により水温環境の年変動が主要因であることが明らかとなった。 産卵のなかった期間も研究は継続され,その研究を支えたのはマダイなどの生産事業であった。世耕総長の「研究と経営」がクロマグロ研究を支え続けた。 1994(平成6)年に産卵が再開し,種苗生産技術の開発に本格的に着手した。それまでの11 年の間に,マダイなどの海産仔し稚ち魚ぎょの必須栄養素や種苗生産技術に関するさまざまな研究が進歩した。し近畿大学水産研究所の創設クロマグロ研究のはじまり産卵と種苗生産技術の開発▲ 奥側の海面が当時ブリなどの養殖を行っていた  水産研究所白浜第一養魚場た。1955(昭和30)年からマダイ,シマアジ等の研究にも着手し,「研究と経営」を両立するための基盤が固まっていった。1958(昭和33)年には農学部の設置が認可され,「有為な人材の育成」のため水産学科が開講,世耕総長からの使命が実現されていった。このプロジェクトによって,クロマグロの長期飼育,すなわち養殖,親魚養成の可能性を示すことができた。20 社会科NAVI 2018 v ol.20