ブックタイトル社会科NAVI Vol.20
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社会科NAVI Vol.20
しごと図 鑑たくさんいました。自分も片手間のようなことはやめて,その人たちと勝負するなら,イラスト業に専念しようと思いました。 自分の子どもが小さい時,よく迷路を描いてあげました。とても喜んで何回も何回も同じ絵で遊ぶ姿を見ていると,迷路絵本という企画はいけるかもしれないと思いました。三十代のときです。三十歳のころから歴史的なイラストで生計をたてていましたが,四十代になって,少しずつ仕事の空きが見えるようになったんです。そこで,温めていた迷路絵本の企画を出版社に持ちこんだら,すぐに採用されました。それが迷路絵本のはじまりでした。 朝起きて寝るまで仕事をしています。自宅が職場なので,生活イコール仕事ともいえます。絵を描くことが嫌になったことはありません。それでも,一日一回は必ず外に出るようにしています。飼っている犬の散歩が日課ですね。このあたりは自然が豊かなので,絵の参考になれば,散歩の途中に写真を撮るようにしています。あと,絵本の読者,子どもたちとイベントなどで触れ合うのがうれしいですね。いろいろ教えてもらうことがあります。 娘と一緒にしかけ絵本をつくりました。ブラックライトを当てれば,隠し絵が浮かび上がるという本です。やりたいものはたくさんありますが,子どもたちがどうすれば喜ぶだろうかという目で,いろいろなしかけを考えていますよ。 生まれ育った地域は,戦災で焼けずに残ったところでした。家々の間をせまい路地が縦横無尽に走っていました。学校の行き帰りで通ったり,かくれんぼで友だちと遊んだりするのは,その迷路のような場所でした。それと,父がつくってくれた特製の積み木で毎日,立体の迷路をつくって遊んでいましたね。そんなことが,迷路と深い関わりをもつ要因だったと思います。 高校生のころは,城と日本文化に興味をもちました。しかし,大学受験の時期を迎え,どこの大学に行こうか,正直自分で分からなかったんです。ある友だちの助言で,関東の美術大学を目指すことにしました。それに合わせて,日本画を学びました。大学院にも進んだのですが,絵を描いて収入を得るというのはむずかしいことです。大学院卒業後は,舞台芸術の会社に勤めました。かたわら,美術大学時代のつてで,雑誌のカットなどを描くようになりました。そのなかで,城のイラストを描く仕事がありました。完成した絵を見た城郭研究の先生にほめられて,その先生が本を出す時,すべての挿絵を私にまかせてくださったのです。それ以来,城のイラストの依頼がくるようになりました。その後,舞台芸術の仕事と,イラストの仕事を両立していましたが,歴史的なイラストの世界には,すごい描き手が▲ 迷路絵は,時間をかけて少しずつつくりこんでいく▼『 忍者の迷路』の一場面(PHP研究所から8月発売)●香川 元太郎(かがわ げんたろう)1959年愛媛県松山市生まれ。詳しい調査にもとづいて描いた日本の城は数多い。子どもから大人も楽しめる迷路絵本シリーズは15 作を数える。●イラストレーター 香川 元太郎イラストレーターの仕事Q どんな子ども時代でしたか。Aイラストレーターになりたいという思いは,いつからお持ちでしたか。QA迷路絵本のことも聞かせてください。QA現在のお仕事のやりがいや,苦労について聞かせてください。QAこれから新しく考えている絵本はありますか。QA22 社会科NAVI 2018 v ol.20