ブックタイトル社会科NAVI Vol.20
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社会科NAVI Vol.20
モンゴル国の最西部にあるバヤンウルギー(モンゴル語で「豊かなゆりかご」という意味)県を久しぶりに訪問した。中国新疆ウイグル自治区と接しており,およそ9万人の住民の約9割がカザフ人である。 民主化直後と比べてかなり開放的になっていた。というのも,国境付近にあるタバンボグド山の氷河トレッキングが国内外の観光客に人気だからである。冬になると鷹狩りが行われ,近年では鷹匠たちの技を競うイヌワシ祭りも秋に行われるようになったそうだ。加えて,カザフスタンからの親戚訪問客が絶えない。 民主化以降,カザフスタンの大統領ナザルバエフの呼びかけに応じて,1990 年代に住民の半分に相当する約4万人がカザフスタンに移住したと言われる。スターリン時代に粛清されたのでモンゴルを恨んでいるせいだとみる研究者もいる。しかし,私はそうは思わない。 市場経済化に伴って機会があれば移動するのは彼らにとって自然体だったろう。自然環境ばかりでなく,社会環境の変動に対応するのもまた遊牧民たちの行動原理である,と言えよう。 ただし,カザフスタンに移住したカザフ人の多くが数年後には帰国してきた。ロシア語世界で職を得ることができなかったからである。10 代以下の学齢期で移住した場合には,公的教育を享受し,職を得ることができた。そんな成功組が現在,生まれ故郷に凱旋しているのである。 元来アルタイ山脈周辺に住む遊牧民は国境を越えて移動していたが,中国国内の動乱からの避難民を受け入れるため,1940年,行政区画として「ゆりかご」が設立され,カザフ人の新しい生活空間となったのである。国境を越えた彼らの「ゆりかご」作りは今も続いている。カザフ人のゆりかご国立民族学博物館教授 小長谷 有紀リレーエッセイ小長谷 有紀(こながや ゆき)専門分野/文化人類学,モンゴル・中央アジアの遊牧文化主要著書/『人類学者は草原に育つ―変貌するモンゴルとともに』(臨川書店,2014年) ,『世界の食文化(3)モンゴル』(農山漁村文化協会,2005年),『中国の環境政策「生態移民」─緑の大地,内モンゴルの砂漠化を防げるか?』(編著,昭和堂,2005年)日本文教出版『中学社会』教科書著者アルタイ山中の夏営地にて(左から3人目が著者)社会科NAVI 2018 v ol.20 3