ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

社会科NAVI Vol.23

しごと図 鑑  審判員は1年契約ですが,公式記録員は日本野球機構の正規職員です。オープン戦から出場し,シーズンが始まると,平日は13 時に野球機構に出勤し,試合開始の2時間前に球場へ入ります。土日は野球機構が休みなので,直接,球場へ行きます。地方球場への出張は,長くても1週間程度です。 日本シリーズが終わるとシーズンオフ。シーズンオフの間は10 時に出勤,17 時30 分までの勤務時間内で,それまでの記録の整理や,オフィシャルベースボールガイド等の編集作業にあたります。また,「働き方」改革も推進されているので,シーズン中に出勤した振休を消化します。  公式記録員の歴代1位は3585試合を担当された柳原基さん,新人の時の教育担当でした。自分は勤続31年目,2018年度までに1241 試合を担当,この中,1軍の試合にデビューして8試合目,1993 年5月19日のことでした。ヤクルト対広島の試合は17 対16。これまで6万試合を超える中で,最大得点の1点差ゲームを担当したことは,記憶に残っています。 また, ノーヒットノーランは700 試合に1回ぐらい出ますが,1995 年のヤクルト・ブロス投手,2018年の巨人・山口投手と菅野投手。このいずれも担当しました。  1241試合を担当してきました▲ 左は音響機器で,試合開始時間や投球数をマ  イクで放送する際に使います。右が判定機器で  公式記録操作卓です。▲ 公式記録員の部屋 ほとんどはスタンド上部の  球場全体が見渡せる場所にあります。●山本 勉(やまもと つとむ)愛媛県宇和島市生まれ。1989 年,セントラル野球連盟(現・日本野球機構)に入局。記録課課長。54 歳。●公式記録員 山本 勉日本野球機構公式記録員の仕事Q 仕事の内容を教えてください。  宇和島東高校で野球部に籍を置き,3年生ではマネージャー,スコアもつけていました。 高校卒業後は,車関係のサラリーマンをしていましたが,ある時,スポーツ新聞に公式記録員募集の記事が載り,以前から,野球に関わる仕事をしたいと考えていたために応募しました。300人の応募者から自分が採用され,当時のセントラル・リーグに所属しました。  プロ野球の球場に行ったことがある方はご存知でしょうが,先発メンバーや審判員の紹介のあとに,公式記録員の名前も告げられます。 試合中,ヒットやエラーのジャッジをし,それがスコアボードにHやEのランプで表示されます。当然,公式記録としてのスコアもつけます。韓国や台湾のプロ野球にも公式記録員はいますが,日本野球機構には22人が在籍しています。 セントラル・リーグとパシフィック・リーグの1軍の試合は各2名が出場,1名はメインのジャッジとスコアを担当,もう1名は補助用のスコアをつけながらNPB のシステムに入力します。イースタン・ウエスタンの試合は1名ずつが出場。NPB のシステムで,プロ野球データのベースであるBIS 担当に2名が必要です。4年目まではイースタンやウエスタンで研鑽を積み,5年目頃に初めて1軍の試合を担当できます。A1日の行動や1年の仕事内容を教えてください。Q公式記録員になった Aきっかけは何ですか。QAこれまでの仕事の中で記憶に残っている事はありますか。QA仕事への誇りややりがいを教えてください。QAが,指名された試合を1回も休んでいません。60 歳定年ですが,65歳までは雇用が延長になります。それまで「無事これ名馬」で過ごせればと思っています。 審判員はアウト・セーフを瞬時に判断しますが,公式記録員がヒット・エラーの判定する際には,ボタンを押すまでに考える時間があります。これまでの経験をもとに主観的な部分が大きく占めますが,最初に思ったことが適切な判断であることが多いです。 プロ野球は,今年で85年目を迎えますが,過去を振り返る時には数字で語ります。「記憶より記録」ということで,これに仕事として携わっていることは,誇りであると同時に,やりがいを感じます。22 社会科NAVI 2018 v ol.23