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概要

社会科NAVI Vol.24

1970年代初頭のメキシコ家庭と社会の間 「ローマ」の時代設定は1971年である。1940 年代から始まった高度経済成長は「メキシコの奇跡」と呼ばれ,その大きな成果は1968年のメキシコ・オリンピックの開催であった。しかしその「奇跡」は,同時に社会格差の拡大と政治の硬直化をもたらした。そのため60年代末から首都のメキシコ・シティでは民主化を求める学生運動が盛んになった。映画の中で,デモ行進とそれを暴力的に鎮圧するシーンが見られるが,これは71 年6 月11日に発生した「コープス・クリスティの虐殺」と呼ばれる実際の事件を描いたものである。 一方農村部では,地主や有力者による土地収奪とそれに抵抗する農民運動が盛んになっていた。クレオが暮らす家族は,正月休みをソフィアの知人の農場で過ごす。その屋敷の脇には「我々の土地権を守るために!」という立看板が掲げられている。そして夜更けに起きた放火事件は,付近の農民と農場主との間のただならぬ緊張関係を示唆している。 クレオの目線から描かれた家庭生活と,市井の社会不安。「ローマ」はその間をあえてむすびつけようとはしない。不穏な時代に人々がどう向き合っていたのかは明らかでない。たとえば,ソフィアやクレオは学生運動をどう見ていたのか。それを弾圧する側の非公式の軍事組織に自分の恋人が参加していることをクレオはどう思ったのか。放火した農民の怒りをソフィアはどう受け止めたのか。映画を見ていると,そうした疑問が次々とわきあがるが,スクリーン上に答えはない。 そのかわり「ローマ」には詩的な映像が頻繁に挿入される。水たまりと,空を飛ぶ旅客機である。水たまりは悲喜こもごもの家庭生活の,旅客機は近代化を邁進していたメキシコ社会の暗喩なのかもしれない。両者は共存しているが,その隔たりを埋めるのは見る者の想像力に委ねられているようだ。●鈴木 紀 (すずき もとい)専門分野:ラテンアメリカ文化論『古代アメリカの比較文明論-メソアメリカとアンデスの過去から現在まで』(共編著,京都大学学術出版会,2019 年),『ワールドシネマ・スタディーズ-世界の「いま」を映画から考えよう』(共編著,勉誠出版,2016 年)など。国立民族学博物館(みんぱく)では,映画会「みんぱくワールドシネマ」を不定期に開催しています( 映画会は無料ですが, 展示観覧券が必要です)。詳しくはみんぱくのホームページhttp://www.minpaku.ac.jp/museum/event/fs/をご覧ください。専門分野主要著書ほかある。ソフィアは夫と,クレオは恋人と不仲になり,その喪失感を二人は共有する。物語の終盤で,夫との別居を決意したソフィアは,4人の子供達に「何があっても私たちは一緒よ」と語りかける。「私たち」の中にクレオも含まれていることはソフィアの視線から明らかだ。 あからさまな社会格差は,クレオが恋人のフェルミンを訪ねていった時にはっきりする。彼が住む近郊のネサワルコヨトル市は,当時,メキシコシティの急激な都市化によって巨大なスラムになっていた。クレオは掘っ立て小屋が立ち並ぶ未舗装の泥道を歩きながら,不安そうにフェルミンを捜す。クレオが暮らす都心の瀟洒な住宅地とは雲泥の差である。▲メキシコシティのローマ地区。 路上で物売りをする先住民女性の姿が見 られる。 (撮影:鈴木 紀 2019年8月6日)社会科NAVI 2020 v ol.24 15