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概要

社会科NAVI Vol.24

わり,特に琉球王府支配層の間で流行しました。京都南禅寺からやってきた僧侶芥隠により仏教の振興が推進され,尚泰久王は,仏教に帰依し,琉球国内の安泰を祈念して九州の鋳物師(鐘を鋳造する職人)集団に依頼し,鋳造させました。鐘の形状は,全体的に細長く,上部の釣り掛けの部位(竜頭)には,宝珠と二つの龍が配されています。和鐘に影響を受けながらも,草の間に雷紋(①)や先が広がった駒の爪(②)などの沖縄的な特徴も見られます。 1458 年に首里城正殿前に掛けられたこの鐘は,1879(明治12)年の「廃藩(琉)置県」後に,那覇市内の真教寺に移されました。その後,首里城への返還運動が起こり,1943(昭和18)年に首里城北殿(当時沖縄郷土博物館)に移管・展示されました。沖縄戦で首里城は灰塵に帰しますが,幸いにもこの鐘は,焼け跡の中から原型をとどめた形で探し出されました。その後,東ひがし恩おん納な博物館を経て,首里博物館,琉球政府立博物館(旧沖縄県立博物館)に移管され,現在,沖縄県立博物館・美術館に配置されています。また鐘の銘文にある「万国津梁」という言葉から,沖縄が世界の架け橋になるという思いを込めて2000 年の「九州・沖縄サミット」が開催された会場の建物は,「万国津梁館」と呼ばれ,県庁内知事専用の記者会見ルームには,この鐘の銘文が書かれた屏風が常にたてられています。 鐘には,沖縄戦による損傷と思われる無数の傷跡が見られ,銃弾が貫通した部分も見られます。500年以上の歳月による自然の風化が感じられますが,これまでに4度の炎上や戦時中の金属供出も逃れて存在しているこの銅鐘は,まさに「奇跡の鐘」であり,首里城とともに沖縄県民の象徴といえるでしょう。の間に湧き出した蓬ホウ莱ライ島(仙人が住む不老長寿の理想郷のこと)であり,舟と舵を以て世界の架け橋とし,異国の物産や財宝はあらゆる場所に満ちている。土地は霊にして人々は繁栄し,遠く日本や中国の仁風(文化や人徳美風)をふるいおこす。」 大海を自由に往来した往時の琉球人(ポルトガルの地図には「レキオ」と記述される)の気概に満ちた姿や国家像をあらわしており,古琉球から近世琉球を表現する歴史史料として広く知られています。 琉球(沖縄)における最初の仏教の興隆期は,第一尚氏第六代王尚泰久(在位:1454 ~1460年)の時代です。この時代,禅宗が日本から琉球に伝●久部良 和子(くぶら なぎこ) 専門分野/琉球・沖縄史,日本統治時代 の台湾近現代史,台湾原住民族,文化人 類学 主要論文/「台湾セーダッカ族祖霊観の変  遷-台湾南投県仁愛郷清流村の事例」「沖 縄戦におけるオーラルヒストリーの利活用 について」鐘の物語鐘の特徴▲?「 琉球国図」1696年(沖縄県立博物館・美術館蔵)  九州南部から沖縄島周辺を示した地図。  朱線は,航路を示し,当時の南方の島々に関する地理的情  報が詳細に盛り込まれている。日本(薩摩)喜界島与論島沖縄島奄美大島社会科NAVI 2020 v ol.24 17