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概要

図工のみかた 05号

語り手(横浜国立大学准教授) 子どもって、「光の影がきれい」とか「この石の形がすき」とかを見つけていますよね。図工の授業の時間じゃなくても、いい形や、きれいなものを発見している。 低学年で「たからばこ」という鑑賞の授業をしました。季節は秋の終わり頃。学校の中を探検して、自分がいいなと思う形や色のものを集めてみんなに紹介する題材です。すると、あるグループが探検から戻ってきて、「先生、これすごいよ!」って言って駆け寄ってきた。箱には黒々とした土が入っていて、そこに霜柱がありました。箱の中は泥だらけ。「どうやってとっておけますか」と尋ねる子どもに、ぼくは「とっておけるかな……」って言葉を濁した。内心、溶けちゃうし、捨ててきなさいよって思っちゃったんです。 その後、学校用務員の方と話す機会があって、「先生、きょう、子どもたちが霜柱とってましたよ。あれね、たぶん今年初の霜柱ですよ」って言われて、ハッとしました。ぼくは、図工の授業で美しいものを探すと言ったら、落ち葉や小石を持ってくるものと決めつけていたんです。想定した狭い枠の中で子どもを見ていた。だけど、子どもは授業という枠の中だけじゃなくて、学校の中で生活し学んでいる。だから季節の移り変わりを敏感に感じ取って、霜柱の美しさを見つけだしてきた。子どもたちはより大きな意味で「たからばこ」という題材を捉えていたのに、なんでその気持ちに応えられなかったんだろう、なんて狭い了見だったんだろうってものすごく反省しました。 子どもは、学校や生活、社会の中で「たからもの」を見つけています。学んだことを携えて学校を飛び出し、日常に潤いや楽しさを創造している。いつだって学びに向かう力を発揮しようとしているんです。 図工って、その子がその子らしくいられる時間です。素材に自分らしさを残す手応えを感じながら、自分にとっての意味や価値をつくりだす時間。だから、先生にとっても、「その子」が見えてくる時間になる。 ある研究会で、特別支援学級の子どもたちが段ボールを使って「秘密基地」をつくるという実践をしていました。その中で「カラオケ」をつくった子がいたんです。「秘密基地」で「カラオケ」っていうのも面白いんですが、その子はマイクもつくって歌い出して、お客さんを呼び入れたりして。ちょうどそこに、その子に音楽を教えている先生がいて、「○○さん、こんなに歌えるの! 私の授業のときは歌わないのに……」と言っていました。そして、その後に続けて「わたしもがんばらなきゃ」ってつぶやいたんです。 この先生に対してすごいなって、ぼくは本当に思ったんです。とかく、こういうときは「音楽じゃなくて図工の時間に歌ってもねぇ」って皮肉を言って終わってしまうことも多いけど、この先生は「この子は歌える!」って気づいて、「わたしの授業に問題があるのかも。もっと何かできるんじゃないか」って、ちゃんと自分と向き合った。題材とか教科にとらわれず、子どもがやっていることから、自分の子ども観・教育観を問い直したんです。こんな先生がそばにいるなら、今後その子は表現の場を広げていけるんじゃないかな。 図工には、子どもを再発見するという「見とり」のチャンスがあちこちにあります。先生が自分をひらいて再発見を受け入れて、その子の学びに寄り添うことが、その子の可能性をひらくことになるはずです。「この子はこうだ」っていう自分の子ども観・教育観が覆って、「そうじゃなかった!」と子どもを再発見することを、ぜひ楽しんでほしいと思っています。図工の時間、学校の外で見つけた形や色を、教えてくれる子どもがいます。家族に作品を見せたいと、意気込む子どもがいます。そのとき子どもたちは、図工の学びと生活をどう結び付けているのでしょうか。学習指導要領のキーワードと、図工の見方について、図工の味方、大泉義一先生に聞きました。 4年生の図工で、使えるものをつくることをめあてにして、焼き物の授業をしました。子どもたちはつくった器を実際に使うのがうれしくて、家でどういうふうに使ったか、保護者の方がどう思っていたか、いろいろと話してくれました。後日、焼き物をすごく気に入ったある男の子が「ぼく、町の陶芸教室に通い始めました」って言ってきたんです。信楽焼の長いすし皿を持ってきて「校内展で展示したいから、スペースをつくってよ」って。こんなこともあるのかと喜んで展示しました。学校で学んで外に出ていって、外での経験をまた学校に持ってくる、子どもが勝手に越境している感じが面白くて。 でもよく考えると、私たち大人が勝手に学校と外との間に線を引いているだけなのかもしれない。子どもは当たり前に、学校で学んだことを外で生かすし、外での経験を学校に持ち込んできます。もちろん学校と家庭や地域とでは、子どもと向き合う大人の役割は違うけど、大人がその領域を線で分断するのではなくて、点線にするみたいに、学ぼうとする子どもを受け入れる姿勢が大切だと思うんです。「社会に開かれた教育課程」で言われているのも、そういうことです。 実際、子どもが学びを広げていくとき、そばにはそれを受け入れる大人がいるわけです。先ほどの焼き物で、子どもが水漏れする器を持って帰ったおうちでは、盛りつけるものを唐揚げにしてくれたそうです。陶芸教室に行った子だって、小学校4年生が教室に突然やってきても、見くびらずに本格的なすし皿をつくらせてくれる大人がいたんです。だから子どもは勇気をもって「これも飾ってください」って学校に持ってきたんです。大人が寄り添い認めてあげることで、学びを生かす場、学びの場はもっと広がっていく。学びに向かう力は、子どもと大人の協働作業で成り立っているんです。おおいずみ・よしいち1968年、東京都生まれ。公立中学校、東京学芸大学附属竹早小学校、北海道教育大学助教授を経て、現在横浜国立大学教育学部准教授。学習指導要領等の改善に係る検討に必要な専門的作業等協力者(平成29年告示小学校図画工作)。子どものためのデザイン教育実践としての巡回型造形ワークショップ・プログラム『アートツール・キャラバン』を展開するなど、日本文教出版小学校図画工作教科書の著者の一人として美術教育の発展に努める。いつでも学びを携えて自分をひらく、子どもの可能性をひらく大人が境界を点線にする、子どもの学びの場が広がる02 07図工って、なんだ?