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「学校を開く」は手段目的は「信頼」 |
園田学園女子大学教授 |
野口克海 |
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●「開く」ことが目的化
最近、学校現場が忙しい。教育改革の課題が次々と降りてきている。
その中のひとつに、「開かれた学校」や「特色ある学校」づくりという課題もある。
これらも積極的にやらないと教育改革に取り組んでいないように思われる。
とりわけ管理職の皆さんは、土曜日も日曜日にも開かれる地域のさまざまな交流会や、盛りだくさんな行事に顔をだして大変お疲れである。
「何のために開くのか」ということより、「開かないとダメだから開いている」という状況もある。
「開かれた学校」にすることが、「目的化」してしまっているところもある。
教育改革の交通整理が必要である。
「開かれた学校」づくりも「特色ある学校」づくりも目的ではない、「手段」である。
「目的」は、保護者・地域の方々に「信頼」される学校をつくることである。
「学校を開く」のは、その為の「手段・方法」に過ぎない。
学校での教育活動が十分に知らされ、保護者や地域の方々と力を合わせて子どもたちの教育に取り組むことを通じて、安心して子どもを預けることのできる「信頼」される学校にすることが教育改革の目的である。
大阪の附属池田小学校の事件があった後、全校朝礼で、「まねをする人がいてはいけないので、学校の門は閉めます。だけど、皆さんが頑張っている様子はおうちの人や地域の人たちに知ってもらう為に、心はもっと開きます」
と講話した小学校の校長さんがいたが、正解である。
保護者の不安を取り除き、安心してもらう為には「手段」は弾力的に運用すればよい。
●「開く」必要性
○ 少子化というのは、地域と学校を離れさせる。昔はどこの家にも子どもがいたのに、今は10軒に1軒にも子どもがいなくなった。地域の90%以上が小中学校と縁がない家になった。学校と無関係になった人たちは学校から離れていった。
○ 「学校のためなら、なんでも協力しますよ!」
と言ってくれる地域の人や保護者がいる。しかし、
「ところで、何をしたらいいのですか?」
という言葉がでる。
それほど、学校は地域や家庭に学校のことを知らせていない。何をして欲しいか。今学校の課題は何か。何に困っているか。日頃の教育活動や子どもたちの様子も分かってもらっていない。それでは、
「何をしたらよいのか分からない」
と言われても仕方がない。
○ 「学力低下」や教員の不祥事、子どもたちの問題行動などがテレビや新聞で報道されるたびに、それが一部の学校であっても、地元の学校不信、教師不信に拡大されていく。保護者や地域の方々に、うちの学校の子どもたちも先生たちも、
「こんなに一生懸命頑張ってますよ」
ということを知ってもらう為にも「開く」必要がある。
●何を「開く」か
「信頼」で結ばれる為に、学校の何を開くのか。
次の4つを開くことが求められている。
① 施設を開く──運動場・体育館・家庭科室、コンピュータルームや多目的教室などを地域の人々に開放する。
② 教育活動を開く──総合的な学習などで地域の人々を学校に招いたり、子どもたちが調べ学習などで地域に出かけたり、体験学習でお世話になったり、学校行事と地域の行事とを合同で開いたり、子どもの活動を一緒に支える。
③ 学校運営を開く──学校評議員や学校教育自己診断などをはじめ、地域の人々や保護者の声を学校運営に反映させる。
④ 教職員の意識を開く──実はこれがいちばん難しくて、いちばん大事なところであるが、学校の内なる閉鎖性、隠そうとする体質、学級王国や学年間の壁などを取り除き、地域や保護者と積極的に協働で子育て、教育をしていこうという姿勢を高める。学校の都合が優先した連携でなく、学社融合という教職員側の意識が必要である。
●子どもを中心にした教育コミュニティづくり
子どもたちに係わる全ての大人たちが、子どもたちを真中に置いて、教育コミュニティをつくる。
子どもが太陽であり、学校も地域も太陽の周りを取り囲む太陽系のような総合的な教育力を再構築したい。
それは、学校・家庭・地域社会が手をつなぐというヨコへの広がりだけでなく、0歳から15歳の義務教育終了までの保育所・幼稚園・小学校・中学校がタテにもつながるネットワークでなければならない。
子どもの発達段階を考えて、子どもが小さい間は地域で子育て、子どもは地域の宝という環境が求められる。
そういう一体となったコミュニティができる頃には、「学校を開く」という言葉はなくなっているに違いない。
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