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前NY市長ジュリアーニ氏の講演 |
園田学園女子大学教授 |
野口克海 |
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●治安の良い町に
前ニューヨーク市長のジュリアーニ氏の講演が大阪NHKホールであった。
私は前の席で彼を見つめた。
9・11テロのあの日,崩壊したビルの現場に立って,陣頭指揮をしていた時の彼は,テレビのニュースで見る印象として,せて,精悍な感じだったが,舞台に登場した彼は,胸板が厚く,タフだった。
彼は語った。
「私が市長になった当時,旅行会社のパンフレットには,“ニューヨークで犯罪に巻き込まれないようにする秘訣は,視線を合わさないようにすることだ”と書かれていた」
ニューヨークは,アメリカで最も治安の悪い,凶悪犯罪の町だった。
「最初に着手したのが,路上のゆすり屋を一掃することだった。信号待ちの車のフロントガラスを勝手にふき,金を要求する。金を払わないと車を蹴ったり,窓にツバを吐きかけたりする男が町に溢れていた。」
私は“交通規則を無視した道路の横断”という理由で取り締まろうと提案した。抵抗したら逮捕できる。
1ヶ月もしないうちに,ゆすり屋は激減した。
「町は落書きだらけだった。特に地下鉄とバスは,一面落書きで覆われていた。落書きを消すこと。衛生局の清掃車の落書きも,完全に消すまで使用禁止を申し渡した」
凶悪犯罪の都市を治安の良い都市に変えるために,まず,ジュリアーニ市長が取り組んだことは,
“小さなことをおろそかにしない”
という「破れ窓理論」の実践であった。
彼は町の落書きを消すことや,交通規則でゆすり屋を取り締ることから始めた。
市長時代の8年間で,2,200件以上あった殺人事件を,3分の1以下の600件にしてしまった。
「破れた窓が1つあれば,一見些細な事象が大きな荒廃につながる。
無傷の建物なら石を投げない人間でも,すでに窓が一つ壊れている建物なら,もう一つの窓を壊すことに抵抗を感じないだろう。
さらに,次々と窓を割って大胆になった人間は,もっと悪質な犯罪を行うかもしれない」
と彼は言う。
●学校に「破れ窓理論」を
この話は,学校づくりにもそのまま当てはまる。
* 教室に入った時に,生徒たちの机がきちっと並ばず,あっちを向いたりこっちを向いたりしているのに,そのまま授業を始めたら,その授業は崩壊することを何度も見てきた。
机が整然と並んでいるか……ただそれだけで教室の空気まで違ってくる。
* 黒板が美しく,きれいに消してあるところから板書を始める授業はすがすがしい。前の時間の授業の板書が乱雑に消され,薄く文字が残っているような黒板で,平気で授業を始めると,生徒のノートの字も乱れ,授業が崩壊する。
板書は教師の心をうつす鏡である。
* 校舎のすみや,階段の踊り場にゴミが落ちていたり,廊下がザラザラの学校は,生徒が荒れる。
たかがゴミひとつ,されどゴミひとつである。
ジュリアーニ市長が,その任期中にニューヨークの町を,アメリカでいちばん治安の良い町に変えた。
それは,落書きを消すことと,交通規則を徹底することから始めた。
“小さなことをおろそかにしない”
という彼の「破れ窓理論」実践の話は,説得力があった。
●危機対応は応用できる
もうひとつ,彼の講演で“なるほど”と思ったことがあった。
9・11のようなテロは誰も予想しなかった出来事であった。
しかし,ジュリアーニ氏はこの危機に直面した時,真っ先に現場に立って陣頭指揮をした。適格で強力なリーダーシップを発揮した。
その彼がこう語った。
「旅客機が乗っ取られて,ミサイルにされてしまうとは思いもよらなかった。しかし,別の災害を予想して演習をしてきたおかげで,誰も想像できなかった大惨事に対応する態勢が,以前に比べてはるかに整っていた」
別の災害とは,“炭疽菌を使った緊急事態”であり,“1993年2月の世界貿易センター爆破事件”であった。
もう一度このようなことが起こったら,と想定し,考え得るすべての事態への備えができていたから,断固たる信念をもって対処できたというのである。
学校も,今日何が起こるか分からない。しかし,一つの危機を想定し,考え得るすべての事態への備えがあれば,別の危機にも信念をもって対処できる。そしてそれが予防にもつながるということである。教訓を生かしたいと思った。
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