日文の教育情報 No.12 平成16年8月 発行
 
戦略を描けるスクール・リーダーを
園田学園女子大学教授  野口克海

  ●「戦略」と「戦術」

 「戦略」「戦術」というと、どうもきな臭く聞こえるが、近頃は、「販売戦略」とか「企業間の戦略提携」「情報戦略」など、日常的にも使われている。
 そこで、ある県の教務主任研修(スクール・リーダー養成研修)に招かれた時に聞いてみた。
 「学校にも当然、経営戦略とか戦術が必要ですよね。ところで、戦略と戦術とはどう違うのでしょう?」
 日頃から、そういう問題意識を持って仕事をしていないせいか、適確な答えは返ってこなかった。
 広辞苑によると、
 [戦略] 戦術より広範な作戦計画。各種の戦闘を総合し、
     戦争を全局的に運用する方法。
 [戦術] 戦闘実行上の方策。一個の戦闘における戦闘力の
     使用法。一般に戦略に従属。
とある。
 [戦略爆撃]という項目を読むと、
      直接敵軍に加える爆撃と異なり、敵国の産業破
     壊・戦意喪失、交通遮断などを意図する爆撃。
とある。
 これは分かりやすい。

 豊臣秀吉が小田原城攻めの時に、若い独眼竜政宗をためした。
 「そのほう、あの大城を攻むるにはいかんとなす」
二十四歳のいなか大名の政宗は、うろたえることなく、
 「これほどの大城なれば、総構えを埋め門塀を乗り崩すは至難の業にござりまする。されば、調略を仕懸け、城内上下の不和を招き、士気を衰えさせるようにいたすがよしと勘考つかまつりまする」
 「ほかに手はなきか」
 「なしと存じまする」
 政宗は秀吉の威をおそれる様子もなく、いいきった。
 秀吉はこころよげに笑った。
 「おのしゃ年も若きに、なかなか物いいに念が入っておるだわ。よき器量だで」と率直にほめた。
            (津本陽 著 「独眼竜政宗」)

 刀や槍を振り回して、勇ましく突撃してくれる武士も大切だが、それだけでは、四年分、五年分の兵糧や弾薬を貯えた小田原城のような大城を陥れることはできない。
 それが「戦略」である

  ●学校に「戦略」と「戦術」を

 2002年度から、学校週五日制が完全実施され、総合的な学習の時間などを盛り込んだ新しい学習指導要領が実施された。
 教育改革が本格的に動き出して三年目と言ってもいい。
 この間、それぞれの学校において、改革は順調に進んでいるのだろうか。
 改革が上手く進んでいるかどうかを計る“ものさし”のひとつに、
 「先生たちは、元気になりましたか?」
 ということを、私は以前から強調している。
 教育改革というのは、毎日子どもたちに接している学校の先生たちが荷い手であるからである。
 ところが、どうも聞こえてくるところによれば、“元気がない”という方が多いのである。
 「五日制の完全実施で、土曜日の分も金曜日までにやらねばならず、かえって忙しくなった。
 ゆとりどころか、皆、疲れきっています。
 その上、次から次へと教育委員会から、あれもやれ、これもやれと新しい課題がおりてきます。
 提出しなければならない事務作業も増えました。
 子どもたちとゆっくり話し合ったり、一緒に遊ぶ時間などなくなってしまいました。
 おまけに、問題行動や事件も毎日のように起こって追われるような生活です」
 というのである。
 実際、そうなのかも知れないが、その原因はハッキリしている。
 「やらされている」
 からである。
 受身になって、指示されたことだけ、一所懸命にこなそうと頑張っているから、疲れるのである。
 刀や槍を勇ましく、振り回していても問題は解決しない。 「やらされる」
のでなく、学校が自分たちで、自分たちの学校をこのようにしていこうという「戦略」を持つことが必要である。
 学校のおかれている地域や保護者、子どもの状況の全体をつかみ、大局的な見地から、「学校丸」という大きな船を、大海原へ確実に前進させていく「戦略」が欲しい。
 学校に「戦略」を描けるスクール・リーダーを育てることが今こそ、求められているのではないか。

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