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二学期はたくさん公開授業を |
園田学園女子大学教授 |
野口克海 |
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●やっぱり授業で勝負
「授業がよくわかる」
「授業が楽しい」
「熱心に教えてくれる」
そういう先生のことを、子どもたちは“いい先生”と評価する。
教師がいちばん“真剣”になるのは授業でなければならない。
授業に熱が入らなくなったら、気合いを入れて授業にのぞむ気力がなくなってきたら、教師はやめたほうがいい。
土俵で勝負できなくなった相撲取りのことを力士と呼ばないのと同じである。
教師というのは、“授業で勝負”するものなのである。
授業が上手になるためには、技術を磨かなければならない。板書の仕方や発問、机間巡視や班学習のさせ方など、四十八手の技を身につける必要がある。
しかし、授業は技だけではうまくいかないことも多い。
授業というのは、恐い生き物である。
いい授業をするために教材研究をする。学習指導案を工夫して授業の流れを考える。
ところが、シナリオ通りにはなかなか進まない。
相手がこちらの作戦通り動いてくれない相撲と同じである。
子どもたちが興味を示してくれない、のってきてくれない時もある。
予想外の質問や意見が飛び出すこともある。
そんな時に、教師の人間性がまるごと出て来る。
子どもの表情を見て、子どもの気持ちを受け止めて、シナリオを変更しなければならない。
相撲は相手が一人だが、授業はそうはいかない。
何十人も相手がいる。子どもたち一人ひとりのことを理解しておかなければいけない。
●経験の数だけ成長する
二学期というのは、公開の研究授業をするのに最も適した時期である。
三学期は短くてどうも、あわただしい。
一学期に軌道にのせた学級で、授業研究をするのには二学期がやりやすい。(二学期制のところは秋のシーズン)
大きな研究発表大会でなくていい。
校内で、子どもの名前も顔もお互いに分かっている教員同士で、公開授業をしあって授業力を高めることが大切だ。
特に、若い先生に研究授業をしてもらおう。
授業を公開して、たくさんの先生たちに見てもらうというだけで、普段の練習風景ではなくて本場所の土俵にあがったような気持ちになる。
当然、本場所で勝負するのだから事前にいろいろと作戦を練る。勉強する。教材研究をする。
それが大事である。
若い先生は、経験しただけ成長する。
土俵にあがって勝負するのだから、失敗することもある。
悔しい時もある。
しかし、金星をあげる時もある。
場数を踏むことによって強くなる。
●スクール・リーダーの力次第
「校長がかわれば、学校もかわる」とよく言われる。
校長をはじめとして、教頭や教務主任など、その学校のリーダーがこの教育改革の時期に、何を大切にしているかという意識の問題である。
これだけ「学力低下」が叫ばれ、これだけ「教員の資質向上」が叫ばれている時期に、自分の学校で、この二学期に、公開の研究授業を一度もやらないというのでは、その学校のスクール・リーダーたちは皆、失格である。
ピントがぼけていると言わざるを得ない。
子どもたちに「生きる力」をつける。
「確かな学力」をつける。
そのための授業研究が求められている。
OECD の学力調査で「学力低下」と指摘されたのは、
特に読解力、長文を読んで自分の意見をまとめ表現する力であった。さらに数学的リテラシー、要するに思考力や判断力についての不十分さが指摘されていた。
単に教科書を教え込むことが求められているのではない。
子どもたちが、興味・関心を持ち、目を輝かせて、意欲的に自ら学ぶような授業をどうつくりだすかが、今日的な課題である。
めざす授業の方向を明確にし、観点をいくつか設定して、教員間で授業論をたたかわせて欲しい。
この秋は、授業力を高めるシーズンでありたい。
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