日文の教育情報 No.27

平成17年11月 発行

 

今こそ道徳教育-情報と友だち関係-

園田学園女子大学教授 野口克海
元大阪府堺市教育長 
元大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長 
元文部省教育課程審議会委員 

  ●濃い人間関係は疲れる

 ある道徳の授業で──
「君たち、親友と呼べる友だちがいますか? とても仲良しで、気が合って、楽しい時も悲しい時もいつも一緒で、これから先、年をとってもずっと信頼し、助けあえる友だちが……」
「エーッ! そんなん親友というの?」
「あれっ? 違うの? 君の考えている親友って、どんなの」
「オレ、サッカーやる親友いてるし、塾で一緒に勉強する親友もおるし、家に帰ったら近所で遊ぶ親友いてるけど……。別々やで……」

 ある家庭の子ども部屋で──
土曜日の午後、お友だちが3人遊びに来たので、お母さんが子ども部屋に、
「ハーイ、おやつですよ、どうぞめしあがれ」と持っていき、子どもたちの様子を見て驚いた。
娘はマンガを読み、一人はパソコンでゲームをし、もう一人はテレビを見ている。
みんな一人一人で別々のことをして遊んでいるではないか。
「あんたたち、一緒に遊べば?」というと、娘はマンガの本から顔を上げて、
「一緒に遊んでるやん?」と言う。

 ある大学で──
大学生と話していても、「ちょっと風邪ひいてても、“病院行きや、
あした一緒に病院ついていったろか”とか言われたら、“うるさい”と思う。」
「関係ないやろ!」と立ち入って欲しくないことに話がおよぶと遮断してしまう。
この友だちとは、卒論のゼミが同じという点で仲良くしているけれど、それ以上はお互いに踏み込まない。自分の全人格をさらけだして、何もかも理解し合いたいというつきあい方をする学生が少なくなってきているように感じる。自分にとって必要な特定の分野だけのおつきあいが気が楽でいいらしい。何もかも一緒というような、濃い人間関係は疲れるという。

 そう言えば……
最近、『中央公論』や『文芸春秋』などの総合雑誌を若い人は読まなくなった。書店には、アパレル、グルメ、旅行、パソコンなどの雑誌が、それぞれ細かいニーズに応じた分野ごとに何百種類
と並んでいる。知りたい特定の分野の情報だけが、すぐに手に入る。インターネットで自殺のサイトで知り合った見ず知らずの人と、車の中で自殺する時代である。これも、自分にとって必要な部分だけ気の合う「自殺の親友」なのだろうか。人間関係が全人格的なつきあい方から部分的なつきあい方に変わってきている。必要な情報だけがすぐ手に入る情報化社会の産物のような気がする。

  ●今こそ道徳教育を

 インターネットで爆弾の作り方を調べて、教室に投げ込んだり、子どもが親を殺したり、先生をナイフで刺したり、同級生の首をカッターナイフで切ったりする時代である。対症療法的な生徒指導ではもはや限界にきている。いじめや仲間はずれ、暴力といった問題事象が発生した時でも、自分たちの問題としてなかなか受け止められない。「自分には関係ない」という意識がまず働いてしまう。小さい頃から異年齢の集団で群れて遊ぶという機会に恵まれない子どもたちも増えた。共に喜び、共に悲しみ、心の底から信頼しあえる仲間をつくる経験が少なくなってきている。子どもたちは、生きていく上で最も大切な「仲間とつながる」ことが苦手になってきている。少子化、核家族化、情報化、都市化などの急激な変化が、子どもたちの心を弱くしている。
 今、学校現場に求められていることは、子どもたちの内面的な資質の育成に力を入れることではないか。心を揺さぶる道徳の時間で道徳的実践力を高め、体験を通じて道徳的実践を積み上げていく、この繰り返しにより、豊かな道徳性を獲得できる学校の取り組みを期待したい。


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