No.29 平成18年1月 発行
「世の中、一体どうなってるの!」と叫びたくなるような事件が次から次へと起こる。
それも、子どもに関係する事件が多い。
学校に不審者が侵入して、子どもたちを殺したり、先生を刺し殺したりという事件が続いて起こった。
学校は警備員を配置したり、防犯カメラを設置して学校の内側のガードを固めた。
今度は、下校途中の子どもが誘拐されたり、殺されたりして、通学路の見直しや
パトロール等と学校の外側のガードを固めなければならなくなった。
学校は大変である。
家庭で子どもが虐待されていた事件でも
「なぜ、学校は何年も気づかなかった!」
とマスコミからもたたかれる。
依然として生徒間のトラブルや問題行動、いじめや不登校も深刻な状態が続いている。
おまけに、教員による体罰、セクハラなどの不祥事も起こるのだから
校長さんは気が休まることがない。
「なんで、そこまで言われなあかんねん」と言いたくなるほど保護者の叱責も厳しい。
今ほど、学校に「危機対応」と「危機管理」の体制づくりが求められている時はない。
学校は子どものためにある。
学校の危機とは、子どもが危機に陥ることを言う。
そういう観点から“学校の危機”を整理すると次のような表になる。
従来、学校評価に関しては、校務分掌ごとの年度末評価として定められた形で行うことが多く、経営に関する評価と教育課程・学習指導の評価との間で乖離が生じたり、説明責任の意識が薄いために開かれた取り組みへの機能を果たし得なかったりする場合がないとは言えなかった。
【学校の危機】
私の経験から言うと、保護者が教育委員会までどなり込んで来た時、事情を聞いてみると
必ず共通していることがある。
それは事件が起こった時の、その日の初期対応がまずかったということである。
1つ目は、初期対応に全力を。
「事件が起こったその日に、校長が(責任ある者が)誠実に対応しておけば、
ここまでこじれなかったのに……」
特に事後処置と事後指導の区別ができていないケースが多い。
例えば、生徒AがBをケガさせた場合、病院につれていくのは当然だが、
必ずAをつれてBの家に謝りにその日のうち に行かなければいけない。
Aをしっかり反省させるとか、仲直りさせるとかは後でもよい。
“事後処置は迅速に、事後指導はじっくりと”
「教育は、今日行くから教育という」を忘れてはいけない。
2つ目は、隠さないこと。
子どものプライバシーや人権に係わることは相手が誰であろうと守らなければならない。
それ以外のことは、学校の立場が少々悪くなったとしても隠してはいけない。
素直に謝ればよい。
隠そうとすればするほど、不信感がつのる。
3つ目は、責任を明確に、逃げない。
「学校で起こったことは、全て校長の責任です。」
「責任をもって対処します。」
校長のセリフはこれしかない。そこから信頼回復が始まる。
著者経歴