No.34 平成18年6月 発行

学校不信を招く、意識の<<ズレ>>

長南 博昭
山形大学客員教授事

「ちょっと、うっかり」が大変なことに

学級づくりも軌道にのる五月、毎年のように家庭訪問が行われる。その家庭訪問に出かけるときの「ちょっと、うっかり」が大変なことになった話を聞いた。


一人の先生が、家庭訪問に出かけるために、必要な資料を持って学校の玄関を出た。ところが、その日は、朝から春の嵐のような風が吹いていた。駐車場まで行く間に、突然、強い風が吹き、資料の一部が宙に舞い上がってしまった。
 その先生は、急いで回収し、全部あるかを確認した。しかし、どうしても数枚が足りない。他の先生方にも協力してもらい、あたり一面を探したが、最終的に数枚が紛失してしまった。


この事実を受け、学校は保護者に対して、事実の説明と謝罪のための文書を配付したという。
 数時間後の夕方には、一部のマスコミがニュース番組の中で報道した。
 「ちょっと、うっかり」が、大変なことになってしまった。何が「ちょっと、うっかり」であるかというと、資料を入れていたものが、何と「スーパー籠」だったということである。以前、学校を訪問したときに、授業に向かう先生方の中に、同じ光景を見たことがある。そのとき、「何ということだ!」と思ったことがあった。
 大事な資料を「スーパー籠」で持ち運びをするという感覚が分からない。そして、そういう姿で家庭訪問をしたら、中には、きっと「えっ!」と思う保護者もいるはずである。大事なものは、風呂敷かカバンに入れ、両手でしっかり抱えて持ち運びするのが常識である。それが「スーパー籠」になってしまった。きっと、その先生は、職員室と教室の行き来も「スーパー籠」ではないか。そして、もしかすると、その学校では、「スーパー籠」を持った先生が当たり前の姿になっているのでないかと心配になった。
 つい最近、「禁帯出」の書類を持ち出して、紛失したという事故が起きている。もちろん、報道されているので、知らないはずはない。管理体制にも問題がある。しかし、それ以上に問題なのは、本人の意識の持ち方である。

もう一つの「ちょっと、うっかり」が…

マスコミ報道があれば、もちろん、他のマスコミも取材攻勢に出る。学校としての対応は、ここからが大事な場面である。
 その日の夕方、学校の照明はいつもより早く消え、教職員は全員退庁していたという。
 管理職である校長や教頭は、どうしていたのだろう。

あるマスコミが取材したときには、校長は「留守電」になっており、何回電話しても同じだった。そして、教頭の方は「不在です」と家族が応えるだけだったという。
 すでに、保護者には、事実の説明が済んでいるのだから、いまさら、コメントを求められてもと思ったのか、それとも、取材を避けたかったのかは、分からない。

優先することは、学校を開き、説明すること

「ちょっと、うっかり」が大変な事態を招いたことに対する学校の意識に問題はないか。まだまだ、古い感覚が残っているのではないか。当事者は、そのことをどれだけ感じているだろうかとも思ってしまう。責任者として「校長の資質」が問われる。もちろん、発端を作った先生の「スーパー籠」もそうであるが・・・。教員の資質が問題になっている昨今、もっと、自覚と緊張感を持って臨む必要がある。
 トップが矢面に立たないという風潮があった時代もある。しかし、そんな時代は、すでに終わっている。今では、こんなことが通用するわけがない。「説明責任」を果たすことなどは、常識になっている。最近では、「実行責任」や「結果責任」までも問われるようになっている。
 学校内の問題や学校、教師に対する苦情や要望に対して、校長の一つ手前で対応しようとする傾向がまだまだある。いずれも学校にとっては、重大な事態である。最初から責任の取れる校長自らが前面に出て対応する姿勢が必要である。
 学校や教師に対する苦情や要望に対しては、まず、丁寧に聞く姿勢が必要である。そのうえで、説明できることは、しっかり説明することが重要である。そして、学校内で問題が発生したときには、まず、学校を開き、しっかり説明する以外に方法はない。隠れて解決の道が開けるわけがない。
 この学校の場合も、まず、管理職は「居場所」を明らかにしなければならない。その居場所は、学校である。そして、求めに対して説明することを優先させなければならない。出張でも、校長はすぐに学校へもどる必要がある。それは、責任もって説明できるのは、校長以外にないからである。

危機を回避するには

「スーパー籠」は、危機意識の甘さを露呈している。危機回避には、二つの《原則》がある。
 ◇ 《不自然さ》は、危険到来のサインである。
 ◇ 失敗には、《潜伏期間》がある。
 不自然さに気付く鋭い感覚や問題意識を常に持ち続けることが大事である。また、「思い込み」で処理すると、重大な失敗につながることがある。100%の事故防止はむずかしいかもしれない。校長は、いつでも、どんなときでも「100%説明できる学校運営」を目指す必要がある。