No.39 平成18年11月 発行

伊達公子さんとの対話

野口 克海
園田学園女子大学 教授

●自分で選んだ学校だから頑張ることができました

先日、ある出版社の依頼で私が校長を務める園田学園高等学校の卒業生であるテニスの伊達公子選手と90分の対談をした。伊達選手はプロテニスプレーヤーとして、日本人として初めて世界ランキング4位になり、当時世界1位だったグラフ選手を破ったこともある、まさに世界のトップ・プロである。その時の彼女の語った一部を紹介したい。

野口(以下N)
伊達さんは、6歳から始められたのですね。
伊達(以下D)
そうです。小学生・中学生はずっと民間のテニスクラブでしたが、アットホームな雰囲気で、中学生の時でも、ある程度自主性に任せてやらせてもらえるクラブでした。
高校に入るまでは、自由に楽しく伸び伸びと大好きなテニスをしていた。高校ではどうだったのですか?
それが高校では、伝統のある部活で周りを見渡すと同じ高校生のライバルや、すごい大学生がいっぱいいる。週末になると卒業生の先輩もコートに混じって厳しく激しい練習。先輩・後輩の上下関係。練習時間も長く、自分の意思とは無関係にやらされるという感じに、当時は反発を覚えました。毎日の長距離ランニングも苦痛でしたね。寮に入って自由になりたいと思っていたのですが、実際には気ままな生活ができるわけではありません。そして怖い監督という存在。(笑)
そのような中で、テニスを頑張り、なぜやり通すことができたのですか。
まず私が乗り越えることができたのは、この学校を自分自身で選んだことだと思います。全国有数のテニスの名門校であるこの学校に、自分の意思で本当に行きたいのだと自分で選んだ学校で、テニスをするためにこの学校に入学したからには、自分自身に絶対に負けたくなかった。自分に負けないためにも、自分で決めたことはやり遂げようという気持ちがまずありました。
それって何事についても大事ですよね。だれかに決めてもらって、面白くなかったらだれかの責任にしてしまうってのはダメだ。
それと当時の名物監督の光國先生の存在がありました。厳しさの中にも愛情といいますか生徒への優しさをすごく感じました。「寮生活をしていると野菜不足になるやろ」と家の畑でとれた野菜を差し入れするなど、テニスを強くするという以前に、大切な生徒を預かっているのだという気持ちがすごく伝わってきました。練習がいくら厳しくても、「あっ、ついて行きたい」と思える監督でしたね。

彼女自身は、私の質問に答える形式で何げなく思い出話をしているのだが、語る内容は見事に大切なことを適確におさえている。進路指導の基本は、「自分で決めること、自分で責任をもつこと」とよく言ってきたけれど、改めて確認をした思いがした。

●才能に気づくことが大切

キッズテニスを教えていて、親は子どもが上手く打てないと、「才能がない」とガッカリしてしまうことがあるように思います。ボールを上手く打てたほうが才能があって、打てない子は才能がないと判断しがちです。しかし、子どもの才能なんてそう簡単に分かるものではありません。私が説明したことが直ぐ理解できるのも才能でしょう。また打てない子どもが打てるまで頑張り続けるというのも、その子の持つ素晴らしい才能だと言えるのではないでしょうか。世界をテニスのツアーでまわっていて気がついたことですが、日本では子どもを評価する判断基準がとても狭いのではないかと思うのです。直ぐに結果を出そうとしたり、目先の結果にとらわれることなく、子どもに才能に気づかせ、常に長い視野で子どもを見つめて欲しいと思います。

この彼女の才能論は説得力があった。私たちは直ぐに答えを出そうとする傾向がある。一回のテストで、できる子、できない子を振り分けたり、一回のプレーで、上手、下手を決めつけてしまうことはないか。目先の結果で一喜一憂していないか。子どもの才能を、もっと長いスパンで見て欲しい。今はダメでも全然OK、その子の才能がどこにあるかを見つけ、気づかせ、ゆとりを持って、自信を持って頑張らせて欲しいと彼女は言うのである。
 伊達選手は高校一年生の時は、県の予選で敗れた。めだたない選手だった。だけど、試合前、光國監督は、「伊達は勝たんでエエ、自分のプレーをしてこい」と言ってコートに送り出したそうである。三年生の時、名門園田学園の優勝がかかっている試合でも「伊達は勝たんでエエ」と言ってコートに出した。全国大会でシングル、ダブルス、団体と三冠を勝ちとって優勝して学園にもどった時も、自分より体格も大きく、強い大学生たちがたくさんいる中で、何ごともなかったようにその日から練習したという。
 彼女にとって三冠は、一つの通過点にしかすぎなかった。
 「監督も、私の才能を認めて、伊達は勝たんでもエエ、と言い続けてくれたのだと思います。」
 彼女は、高校を出てすぐプロの道に進んだ。今は園田学園女子大学の客員教授として大学生に授業をしている。私も彼女から、素晴らしい教育論を学んだ。

著者経歴

  • 元大阪府堺市教育長
  • 元大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長
  • 元文部省教育課程審議会委員