No.44 平成19年4月 発行

活字文化の危機にどう対応するか

明石 要一
千葉大学教授

● 新人類から活字離れが始まっている

新聞をとらない家庭が増えている。とりわけ三十代の親たちに多い。だから、三歳児検診などの案内を載せた市政だよりの折込チラシの効果が薄くなっている、という。
 学校で図画工作や習字の時間に新聞紙を持ってきなさいというと、「先生うちは新聞をとっていません。どうすればよいですか」という声が10人を超えるそうだ。
 ニュースはテレビ、スポーツの試合結果はインターネットの掲示板をみる、という。あるスポーツ新聞社ではインターネットのバナー広告収入で社長賞が出た、という。
 いうまでもなく新人類の人たちから活字離れが始まっている。その典型が新聞である。それでよいのだろうか。これまで新聞が果たしてきた「読む力」をどこで育てればよいのだろうか。私はこれを「新聞読解力」と呼ぶ。

● 新聞読解力とは何か

私は、かつて小中学生を対象に漫画を読む力を研究したことがある。漫画を読む力を測定し、その能力と学校の教科の成績はどう結びつくか、をはっきりさせた。
 漫画を読む力とは、ストーリーの理解はもとより、漫画特有の記号(目に星が入る、足に渦巻きが描いてあるなど)をどれくらい理解しているか、四コマ漫画の「落ち」が理解できているか、などを測定した。
 その結果、漫画読解力は国語と社会科の成績と強い結びつきがある。漫画読解力の高い人は国語と社会科の成績がよいのである。
 漫画を読む力は、理科、数学、英語とは結びつきがなかったが、国語、社会科とは相関が見られた。
 漫画を読むことで漢字を覚えたのだろうか、そして漫画を繰り返し読むことで絵と活字に慣れたのだろうか、さらに例えば、「食」の漫画を読むことで社会の常識や日本文化を理解したのだろうか、国語と社会科の力はつくようだ。
 同じことが新聞でもいえるのではなかろうか。新聞を毎日読む人とそうでない人はどこかが違うだろう。これは知的好奇心を起こす。
 新聞読解力は粗くいって、次の三つに分けられる。

まず、新聞を読むことで政治や事件、それから経済の動きを知る。社会の「動き」を知る。これらはマスメディアに共通した働きである。新聞はこれに文字を読む力が加わる。繰り返して読むことで読む力が定着する。

次に「社会常識」が身につく。暮らしや文化的な営みの紹介や解説を読むことで日本人としての常識を知ることができる。そして常識だけでなく雑学も身につけることができる。わずかな代金で多くの情報量を含んでいるのが新聞である。
 さらに、強調したいことは新聞を読むことで「大人の世界」を知る優越感を味わうことができる。人が知らないことを知っていることは自信につながる。子どもの成長にはこの「背伸び」は必要である。背伸びは子どもの好奇心を育む。
 大学生を見ても新聞を読まない。三年生の終わりになり就職活動が始まるとリクルートスーツと新聞をとり始める。それまではほとんど新聞をとらないし、読まない。
 だから、新聞の読解力が身についていない。社会の常識を知らなさすぎる。「はてな?」の疑問を持たなすぎる。背伸びをしてチャレンジをしようとしない。

● 活字文化に触れ雑学を増やそう

学生たちは例えば、「村八分」を知らない。葬式と火事だけはのけ者にしない、という事実を知らない。昔村でもいじめがあったが二つのことはお互いが助け合ったのである。
 大学生に「冠婚葬祭」という漢字を書かせると書けない。そして意味も知らない。さすがに婚と葬と祭は知っているが、「冠」の意味がわからない。冠であるから、昔は元服を意味し、今は成人式などの大人になる儀式を意味する。
 今、年中行事や日本のしきたりが見直されている。新聞は「今」と歳時記にこだわる。雑学の宝庫である。新聞を読むと物知りになる。冠婚葬祭について一言言えるようになる。知恵までは求めない。せめて知識だけでも持って大学に来てほしい。語彙数を多くもって大学に来てほしい。たくさんしゃべってほしい。
 そのためには、まず「何でも見てやろう」「何でもやってみよう」という好奇心に満ちた行動力が必要である。次に口角泡をとばす議論をしてほしい。その結果活字に対する関心がわき、活字の裏を読み解く力が身につく。