No.47 平成19年7月 発行

家族の絆を深めよう

明石 要一
千葉大学教授

●お宮参りはなぜおこなうか

赤ちゃんが生まれて一ヶ月ほどすると、多くの家庭では母親と子どもが晴れ着を着て近くのお宮に参る。
 それはなぜだろうか。これには大切な意味が込められている。お宮参りは子育ての原点である。
 次の二つの理由がある。
 一つ目は、無事に生まれ元気に育っているので、そのお礼にいきこれからもすくすく育つようにお願いする。
 江戸時代を振り返ってください。徳川の将軍家でも赤ちゃんが生まれてすぐに亡くなるケースが多い。生後すぐの育児は難しいのである。医療が発達した今でも育児の難しさに変わりはない。だから、無事に生まれ育っているお礼にいくのである。
 二つ目は、お宮参りをすることで地域の方に自分の子どもを披露する。
 地方によっては、お宮参りをした後ご近所の人や親戚の家、それから仲人さんにお餅を配るところがある。「私の家にこういう子どもが生まれました。以後見守ってあげてください。」という気持ちを込めてお祝いのお餅を配るのである。
 この儀式を経て初めて、赤ちゃんは地域の氏神さまの氏子となる。地域社会の一員として認められるのである。
 これは今風にいえば、「赤ちゃんの地域デビュー」である。だから、大人になったときその地域のお祭りに参加でき御輿を担いだり、山車を引くことができるのである。

●子どもは「地域の宝」

子どもは地域の宝といわれる。また神の子ともいわれてきた。その背景には「お宮参り」が子どもの地域デビューの意味を持っていたからである。
 今一度お宮参りの儀式の意味を考え直し、子どもを地域ぐるみで育てていきたいものである。「男女七歳にして席を同じにせず」という言葉をご存知であろう。戦前までは男女共学ではなかった。二年生から男組と女組に分かれるクラス編成であった。
 六歳までは神の子であった。神の子はノンセックスである。男女差がないものと考えられていた。
 だから、学校に上がるまでは「おねしょ」して布団に大きな世界地図を描いても怒られなかった。
 それが七歳から性差が見られ初めて人間としての扱いを受けるようになる。しつけられていくのである。

『菊と刀』という書物がある。アメリカの人類学者が書いた名著である。ここでも日本人は子どもを神の子として扱い大切にしている、ということが紹介されている。
 お宮参りを機会に今一度、子どもが地域の宝といわれてきたことを見直したいものだ。

●へそ嚢(へそのお)を渡す儀式を復活させよう

小学校の生活科の授業で親子の絆を学習するとき、「母子手帳」や「へそ嚢」を持ってこさせることがある。
 母子手帳は、妊娠中の「十月十日」間の様子や生まれたときの年月日、それから体重などが記入されている。そしてへそ嚢はまさに母と子どもを結ぶ唯一の証である。
 日本社会では娘が結婚するとき、この「へそ嚢」を渡してきた。東芝日曜劇場のテレビドラマで結婚式の前夜、娘さんが両親に向かって「いろいろお世話になりました。明日嫁ぎます。幸せになります。」という泣かせるシーンがある。
 これを思い出してほしい。娘の言葉を聴いた母親は「渡すものがある」といって立ち上がり、タンスから桐箱に入った「へそ嚢」を持ち出し娘に渡す。
 この儀式は何を意味しているのだろうか。学生に考えさせても答えが返ってこない。
 これは「親子の縁を切る」儀式である。「しつけは十分にした。申し分のない人間に育てた。だから、嫁いだらもう実家には帰ってくるな」という宣言なのである。
 半分冗談であるが、もし結婚された女性で母親からへそ嚢をもらっていない人は、大手を振って実家に帰ってもよい。もう一度、足らないところをしつけ直してもらえる。
 かつて、親は子どものしつけに責任を持っていた。立派に育てたので実家の敷居は跨がせない、という自負心を持っていた。

家族の絆は自然にできるのではない。親子の絆は、社会学的には具体的な行為を通してできる。それが儀式である。「犬(戌)の日の腹帯」「お七夜」「お宮参り」「初節句」などの儀式を重ねることで関係性が生まれる。
 今、親子の絆が薄れ始めている。これでは困る。教育再生会議でも親学が脚光を浴びているが、日本に伝わる子育ての儀式を見直し、親子の絆の再構築をしなければならない。