No.49 平成19年8月 発行
夜10時、校長室を出ると職員室にはまだ、たくさんの教員が残って仕事をしている。
60人ほどの机が並ぶ職員室のあちこちでパソコンに向かっている者や、山積みのノートを点検している者など十数人の頭が見える。
「早よ帰れよー。お先ー。」と言って私は学校を出た。
「昔は、もっとヒマやったのになあ」と思う。
私が20代だった昭和40年代、放課後の部活が終わった体育館に電気をつけて、先生たちでバレーボールをしたり、職員室のストーブを囲んで、先輩の先生の昔話を夜遅くまで聞いたり、土曜日の午後はみんなでソフトボールをしたりしたものだった。
もちろん、駅前の赤のれんに立ち寄ることも度々あった。先生どうしのつきあいの中で、若い教師は先輩からたくさんのことを学んだ。
もちろん若い頃は教材研究もたっぷりとやった。
授業の準備も十分にして張り切って教室に向かった。
生徒たちとも毎日、いっぱい遊んだ。休みの日にクラスでハイキングに行ったりもした。
今はとてもそんな余裕がない。皆、忙しいのである。
「何時までやるねん?」と思うほど、遅くまで仕事をしている。
だけど、そのわりに毎日の授業に不可欠な教材研究はあまりできていない。
何よりも最も大切な子どもたちとじっくり話し合ったり、遊んだりということもできていない。
その日暮しの授業の準備も不十分、当然、年間を見通したカリキュラムを体系的に研究するという暇もない。
さらに心配なことは、夜遅くまで残って仕事をしている先生たちの多くが、パソコンと向きあっていて、先生どうしの会話がほとんどないことである。
十数人も残っているのに、無言で仕事をしている。
お互いのつながりが薄い。
新しい教育課題が次から次へとやってくる。
特別支援教育のこと、小中連携・中高一貫教育・高大連携の行事の準備、学力調査のこと、学校評価、授業評価、奉仕活動・ボランティア活動、二学期制のこと、地域連携行事の計画、総合的な学習や食教育のプログラム、安全指導の徹底、キャリア教育・職場体験学習の計画、等々。ひと昔前には聞いたこともなかった課題が学校現場に入ってきた。
最近は保護者との対応にもずいぶん時間をとられるようになった。長い苦情電話、保護者に納得してもらうまでの丁寧な懇談、家庭訪問、それも、保護者対応の苦手な若い教員をサポートする為に複数の教員による対応。
子どもたちの実態も多様化し、個別の対応にせまられるようになった。
いじめや不登校もずいぶん様変わりしてきた。携帯電話による問題行動も深刻化してきた。
親の離婚も驚くほど増え、生活保護や援護家庭が増加した。給食代も払わないだけでなく、朝ごはんも食べない子、家で料理をしない親、子どもの生活に責任を持たない、持てない保護者も多い。
当然、保健室に居場所を求める子どもが増える。
個人、孤立、利己、一人ぼっち。
そんな言葉が子どもたちや保護者に当てはまる時代になった。子ども一人ひとりに合った教育対応が求められるようになった。
しかし担任は一人である。
孤軍奮闘している。
そして一人でパソコンとにらめっこしている。
教師間の縦・横のつながりも弱くなってきている。
子どもとじっくり向きあう時間も少なくなってきている。
教師がバラバラになってはいけない。
それでなくても、世間から学校は叩きまくられている。教師は馬鹿扱いされている時代である。
馬鹿な教師と言われてもいい。馬鹿もチームで団結すれば馬鹿力を発揮するものである。
教職員が仲良く、元気にやってほしい。
教職員を競争原理で追い立てるのでなく、チームワークのとれた集団であってほしい。
帰り道、そんなことを考えながら歩いていたら、目の前にすし屋があった。
「にぎり鮨、十人前、校長からの差し入れやと言って職員室に出前、大至急頼む! 高いトロやウニはいらんでェー。」
大きなお盆を囲んで、みんなでつまんでくれたら、少しはモチベーションが上がるかもと思って注文した。
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