No.56 平成20年2月 発行

子どもたちの「感性」が危ない

長南 博昭
山形大学地域教育文化学部教授
日本感性教育学会副理事長

■心配な子どもたち

日本の子どもは、「親にキレやすく、反抗的である」ということが、創価大学の研究チームの国際調査で分かった。「親に注意されるとカッとなる」とか「親に乱暴な言葉遣いをする」という子どもが増えているという。
 経済協力開発機構(OECD)が実施した国際学力テスト「学習到達度調査(PISA2006)」では、数学的活用力や科学的活用力が大幅に順位を下げている結果である。また、理科学習に関するアンケートでは、高校生の理科に対する関心や意欲が、参加57カ国中最下位であった。高校生の理数離れが深刻な事態になっている。
 昨年末に公表された「全国学力・学習状況調査」の結果では、活用能力の低下と他に「無答率」の高さが問題視されている。
 親に対して「キレやすく、反抗的である」ということは、親子関係が崩壊しかけていることであり、人間関係の基本である「二者関係」が形成されていないことを示している。身近な「二者関係」ができていないことは、社会生活における「三者関係」が築けない事態に発展する可能性がある。
 今の日本の子どもたちは、大変な事態にあり、「無答率の高さ」や「理数離れ」は、忍耐力や関心・意欲の低下であり、「生きる力」そのものの低下である。これらのことは、「感性」と「情操」の衰退、つまり「感性」や「情操」が磨き上げられていないからではないか。
 だから、次の学習指導要領では、感性・情緒を育むことを改善事項として上げている。
 感性は「価値あるものに気づく感覚」であり、情操は「価値ある方向へ動こうとする感情」である。すなわち人間性の源である。一般的に「感性」と一言で言うが、次のようないくつかの「感性」に分類できる。

  • ◇道徳的感性
  • ◇芸術的感性
  • ◇神秘的感性
  • ◇人間的感性
  • ◇科学的感性

これらの「感性」がバランスよく育まれてこそ、人間的な生き方ができるようになるのではないか。そのためにも、「感性」や「情操」を確実に育んでおく必要がある。

■感性の解発が阻まれている

子どもの感性が育ちにくい要因として、数々の文明の利器の登場による「快適便利な生活」があるのではないか。このような生活にどっぷり浸った毎日の中で、感性の解発が阻まれている。子どもだけではなく、大人の感性も衰えている。先に頻発した「食品偽装事件」などは、感性や情操がさび付いてしまった結果を物語っているのではないか。

子どもたちに感性を育むためには、何よりも「体験」を最優先させる必要がある。そして、大人の責任として、意図的に「不便体験」を仕組むことが必要である。特に、次の《4体験》は、発達段階に応じて、確実に体験させたい体験である。

●二極対立体験
暑い⇔寒い 便利⇔不便 嬉しい⇔悲しい苦しい⇔楽である 空腹⇔満腹 楽しい⇔恐ろしい 甘い⇔塩辛い 弛緩⇔緊張 安心⇔不安 喜び⇔欠乏 酸っぱい⇔苦い 自由⇔強制(不自由) 熱い⇔冷たい 満足⇔不満足 聖⇔俗 明⇔暗 損⇔得 善⇔悪
●境目体験
生⇔死(小動物と遊ぶ、兄弟の誕生や祖父母の死)昼⇔夜 危険⇔安全 大人⇔子ども 男⇔女
●追体験
人間が進化の過程で身につけた技 ⇒ 生卵を割る マッチを擦る ナイフやはしを使う動物進化の過程 ⇒ 泳ぐ 泥遊び 這う 木登り 跳ぶ 歩く 走る
●原体験
事物・事象の認識に影響を及ぼす体験(五感を用いて知覚する体験)⇒ 星や夕焼けを見る 1000m以上の山に登る 日の出、日没を見る 兄弟喧嘩 魚などを捕って食べる 恐怖・不思議・神秘体験

■「体験→表現→交流」が感性や情操を育む

感性や情操を育むためには、「体験」→「表現」→「交流」→「体験」…のサイクルをスパイラルに機能させることが何よりも大事である。まずは実際に体験したことを表現させることである。次に、表現を交流させることによって、自分の感性と他人の感性を重ね合わせ、新たな気づきを意識させることの繰り返しが大事である。
 二極対立体験は幅が大きいほど、気づきが広くなり、感覚や感情を制御する能力が高まる。しかも、体験の豊富さが、その人の「人間としての幅」を作ることにつながる。「快適便利」だけの生活は、いろいろな選択肢が増え、便利なことも多くなる。しかし、それが増えすぎると、人間として大事な判断力を失ってしまう危険性を認識しなければならない。
 快適便利な生活の中で、選択肢の増加には、物事に対する判断の境目を溶かす可能性が潜んでいる。