No.57 平成20年3月 発行
めずらしく大阪にも雪が積もった。何年ぶりかのことである。
このシーズンになると思い出す言葉がある。
私が教職員課で義務教育関係教職員の人事の総括をしていた頃であった。
府下の市町村でも、私の最も尊敬する大先輩の教育長さんからお呼びがかかった。
とある料理屋さんの小部屋で二人きりで会った。
「野口さん、あんたにはいろいろと世話になったね。ありがとう。私はこの3月で教育長をやめることになった。それで、一言、お礼がいいたくてね。」
その夜も、3月だというのにとても寒かったように思う。
親子ほど年の離れた大先輩が、しみじみと教育論を語ってくれた。
「人事は芸術だよ……。」
「この校長に、あの教頭をつけたら、4月になったらその学校からどんなメロディーが聴こえてくるだろう、と思いながら組み合わせを考える。どうか、美しい曲が流れてきますようにと願いながら人事をしてきた……。人事は芸術だよ。」
ゆっくりと、何かを思い出すかのように語られる言葉には重みがあった。返す言葉もなく私はひたすら聞いていた。
「ひとつひとつの学校から聴こえてくるメロディーを想像しながら、市内全体のオーケストラが演奏する曲をつくりだす。その時はねえ、私の哲学がそこに表現されている。人事は哲学だよ。」
「はい。」
「哲学のない人事はダメだ。」
この教育長さんだから言える言葉だなあと思いながら聞いていた。
その当時は急激な少子化で教員が過員状態にあり、過員解消にやっきになっている時だった。
府下市町村の教職員課長さんの集まる会合で、退職してくれそうな教員の肩をたたくように檄を飛ばしていた。
「気持ちをゆるめるな、風邪などひく課長は気持ちがゆるんでる証拠だ!」
などと言っていたように思う。
当時の私にとっては、
「人事は数合わせ」
であり、とても哲学どころではなかった。
それだけに大先輩の言葉が心にしみ込んだ。
「安っぽい人事をしたらだめだ。人事には哲学が必要だ。」
盃が何度も往復しているうちに、教育長さんの表情も柔らかくなってきたように思えた。
「野口くん、人事はエゴだよ、エゴ!」
「はい、それはよくわかります。」
ニコニコと微笑まれた目はやさしかった。
「君には、苦労をかけたね。」
「いえ、とんでもありません。」
その後は、もう何を話したかよく憶えていない。
寒い夜の町を、コートの襟を立てながら家路を急いだところまで記憶が飛んでしまっている。
今年も人事の最終の時期が来た。
「人事は芸術だよ。
人事は哲学だよ。
人事はエゴだよ。」
という言葉が聞こえてくる。
この寒い冬、現役の教育長さんたちは、議会もある、予算もある、人事もある、団体の応接もある、新学習指導要領への対応もある。
毎年、この時期は大変だ。
忙しい時にかぎって、エゴの要求をしてくる人がいる。
負けないで頑張って下さい。
そして、年度の変わり目の時だからこそ、市内全体の子どもたちの様子と市内全体の学校のハーモニーを考えた教育長さんとしての理念、哲学を、管理職の皆さんに語って欲しいと願っています。
著者経歴