No.62 平成20年8月 発行

30年間で子どもの歩数が1万歩減った

明石 要一
千葉大学

■子どもの放課後が消えた

子どもの放課後が消えた。それは具体的に何を意味しているのだろうか。私は子どもの行動半径が狭くなった、と思う。NHKが30年ほど前に、当時の小学5年生に万歩計を持たせ、朝起きてから夜寝るまでにどのくらい歩いたか調べたデータがある。それによれば、1日に2万2千歩近く動いている。昨年、私が同じ小学5年生を対象に調査をしたところ、1万歩程度であった。
 この30年近くで子どもたちの行動半径が1万歩近く狭くなっている。これを時間に換算すると、ほぼ1時間強の時間となる。つまり放課後の世界が1時間短縮されたのである。子どもの動きが徒歩から車に変わったのである。活動場所が塾やお稽古になる。そして居場所が空き地や公園でなく自分の部屋となる。

■どんなおかしさが生まれるか

1)食欲が低下する

子どもの放課後が消えると、どうなるか。行動半径が狭くなると子どもの行動にどんな変化が生まれるか。まず浮かぶのが、食欲の低下である。外遊びが減るのであるからお腹が空かない。夕飯時「ただいま、お腹が空いた。ご飯まだ」という子どもの声が消えた。また、「今日の夕飯おいしい」という問いかけに、「まあね」という声しか出ない。「おいしい、まずい」というはっきりした反応が見られない。さらに、お八つが消え間食が増え始める。言うまでもなくお八つは「やつどき」、今の午後3時頃食べるからお八つといわれた。1日に1回と決まっていた。それが、間食になってしまった。
 給食と夕飯の間に食べるのを間食という。屋内での行動が増えると間食が増える。小学生で1日に2.5回ほど間食をしている。これではお腹が空くわけがない。間食は夕食が終わった後にも見られる。夕食後マンガを読みながらお菓子を食べる子どもまで出現している。
 つまり、食欲の低下は子どもの食生活のリズムを壊している。文科省が始めた「早寝、早起き、朝ご飯」という国民運動は、この食生活のリズムの回復を狙っているのである。

2)体力が低下する

文科省は昭和39年の東京オリンピックから体力調査を行っている。それによると、昭和60年頃から児童・生徒の体力が低下し始め、現在が一番数値が低い。余談であるが、40代の人たちの数値が一番高い。
 その原因を解明しようとして今年から文科省は新たに体力調査を始めた。私は体力の低下の1つに行動半径の狭さがある、と考えている。結果が待たれる。

山形県のある中学校ではスクールバスの停留所を変更した。これまでは正門まで生徒を運んでいたが、今は正門から800メートル離れたところで生徒を降ろしている。生徒を意図的に歩かせようとしている。これだと最低1日に1600メートルは歩く。都市部の子どもの方がよく歩く。電車の駅のホームを歩く姿をよく見る。地方ほど車社会になっている。移動は車ですませがちである。

3)人間関係能力が低下する

歩く歩数が減り行動半径が狭くなると、食欲の低下と体力の低下が起こるのは予想できやすい。しかし、歩数と人間関係能力はどうして結びつくのであろうか。
 子どもは成長する過程で三種類の大人と出会う。第一の大人は親である。家庭の中での大人である。第二の大人は教師である。学校社会での大人である。そして第三の大人が近所のおじさん、おばさんである。地域社会での大人である。行動半径が狭くなると第一と第二の大人との接触が多くなり、第三の大人との接触が少なくなる。親と教師は子どもを大切にしてくれる。子どもを中心とした生活を作ってくれる。子どもから問いかけをしなくても、大人のほうから気持ちを汲んでくれる。自ら意思表示をしなくても生活できる。ところが、地域のおじさん、おばさんはそうはいかない。例えば、第三の大人にモノを頼むときは、子どもが自ら「自分はこういう者で、今こうした活動をしています。手伝っていただけないでしょうか」と説明しなければ物事が達成できない。
 私はこうした第三者に対する意思表示を「口上文化」と呼んでいる。歌舞伎や落語の世界での襲名披露で見られる口上である。この口上が一番うまいのは、渥美清が演じる「フーテンの寅さん」である。彼は言葉で世間を渡っている。テキ屋は言葉が武器である。世間を渡るには「言葉」で自分の気持ちを表現しなければいけない。
 宿を借りるとき、「生国発しまするは」から始まる自己紹介がうまくなければ泊まることができない。野宿をするしか道がないのである。そうなれば危険と背中合わせである。雨露をしのげず、風邪を引くかもしれない。または外敵に会うかもしれない。
 こうした世間を渡る口上文化が日本にあった。これを渡世という。しかし、残念ながら今の子どもは口上文化を身につけていない。第三の大人との接触が少なくなっているので、つき合い方を学ぶチャンスを失っている。
 人間関係能力は「言葉」によって身につく。新しい学習指導要領が言語活動の充実を謳っているのは理にかなっている。