臨時号No.63 平成20年8月 発行

市町村教育委員会は分権の痛みを

日渡 円

■人事権の移譲

さる5月、地方分権改革推進委員会から第1次勧告が出された。教育に関する部分は、1)市町村立学校教職員の人事・給与、市町村立学校小中学校の学級編制・教職員定数に係る事務について、「中核市」まで先行して移譲すること。2)市町村立幼稚園の設置の都道府県による認許可等に係る事務は廃止し、都道府県への届出制とすることの2点であった。
 このことについては、平成17年10月の中教審答申「新しい時代の義務教育を創造する」で答申され、その後関係者の間で意見交換が行なわれたが、規模の大きな教育委員会と規模の小さな教育委員会間で意見が分かれ結論が得られなかった。そこで中教審では平成19年3月に、まず、同一市町村内の教職員人事について当該市町村の意向をより反映させるための制度改正を行うことが提言され、ようやく昨年6月改正地教行法が成立し、教職員の人事について、同一市町村内の転任については、市町村教育委員会の内申に基づき行うこととされ、本年度から施行されたところである。
 そして、今回の第1次勧告である。今回の勧告は中教審が平成19年3月に答申しなかった残りの部分、「人事権の移譲」である。文部科学省もすでに検討を始めているが、指定都市に加え中核市まで人事権が移譲されることとなれば、このことは教職員の人事権の移譲問題にとどまらず、教員養成や研修等にまで影響を与え、引いては公立学校の教職員だけで国の人口の100人に1人を占める教職員の資質の維持や向上を考える大きな転換期となるだろう。

■新たな人事制度を

平成18年当時結論が得られなかった理由は、中核市、特別区、指定都市等規模の大きな教育委員会が、「特色ある学校教育を行い、地域に根ざした優秀な人材を育成・確保するために」等の理由で賛成し、反対に都道府県と規模の小さな市町村教育委員会が、「中核市への人材の偏在化による教育水準の格差」等を理由に反対であった。
 その間にも、教育委員会そのものが改革の対象となり「責任ある教育行政の実現のための教育委員会の改革」が行われてきているのである。

そういう時代を迎える今日、現在の市町村教育委員会の対応は今のままでいいのだろうか。中核市未満の市町村の大半は人材が指定都市や中核市に集中する事を恐れ、とりあえず反対の態度をとってきたが、現在の制度を維持することが真に責任ある教育行政を実現できる主体者となり得るのであろうか。「今のままでいい」ではなく、自ら新たな人事制度の提案をする時期ではないだろうか。

■町の教育づくりを

市町村自体は町づくりを進めて住民サービスの向上を図るのに、教育は国や都道府県の分野であるがごとく、ややもすると自治体も教育委員会も「町の教育づくり」をしてこなかったのではないだろうか。総合的な学習の時間などはその典型的な例で、見方を変えると、教育課程における地方分権そのものであったはずである。まず、「町の教育づくり」を進め、教師に「あの町で教育をしてみたい」と思わせる町づくりや工夫を進めた上で、人事システムの構築を行わなければならない。
 教職員の人事権の基本は市町村でいいと思うが、人事の硬直化や人材の滞留を避けるために、一定経験年数ごとの交流人事や、複数市町村が一定規模集まる、広域での人事調整の仕組みを整えるなど、地域に根ざした人事制度の構築は可能なはずである。そうすることによって今まで難しかった、規模の小さな市町村での指導主事の配置を可能とするなど、真の意味での地域に根ざした教育の実現に結びつくと思う。
 給与権の移譲にしても、人事権が市町村に移譲されれば教職員の数が減ったり、給与に差がつくと危惧する意見が出てくるが、これらの問題は人事権ではなく、いわゆる教職員定数法や給与条例の問題である。これらの法律等がしっかりと維持されれば市町村ごとに差が出るはずもない。
 地方分権は痛みを伴うとよく言われるが、市町村教育委員会や学校は地方分権の改革の痛みに耐え、教育の主体者・責任者であり、特に学校は教育の中心的な担い手であり、その責任の主体者であることを自覚すべきである。