No.66 平成20年10月 発行

こんな校長さん

野口克海
大阪教育大学

■不登校生がいなくなった

新しい学校に着任した日、教職員を前に校長は一言だけ語ったという。
 「子どもの話を聴いたってくれ」
 4年前、30人近くいた不登校生が、昨年から、ほぼゼロになった中学校がある。
 その学校を訪問した。
 校長室にいた何人かの先生は、元気よく話してくれる。
 校長さんは寡黙の人である。こちらから質問しないとほとんどものを言ってくれない。
 「どうして不登校生がいなくなったんですか?」
 という私の問いかけにも、
 「子どもの話を聴いたってくれというのが私の信念です」
 とだけ返事が返ってきた。
 どうもよく分からない。
 周りの先生たちの話から想像していくしかない。

■「聴く」ということ

一人の先生が語った。
 「それまで、私は朝教室に行っても頭髪や服装の乱れた子がいると、“おはよう”という前に“なんや!そのカッコは!”と言ってたように思うのです」
 「いまは“朝メシ食べてきたか?”“お母ちゃん元気にしてるか?”とその子の今日の調子を先に聴くようになりました」
 なるほど、先に聴くことから始める。
 本当に聴くためには忍耐がいる。相手を理解したいという気持ち、愛情、誠実さが不可欠である。
 格好良く注意・指導・アドバイスすることは、本気になって「聴く」行為よりはるかにたやすい。
 「生徒はこうあるべきだ」と生徒を正そうとする前に、「あるがままの生徒」の姿や心を一歩離れて感じとろうと努力することが「聴く」ということのようだ。

■居心地のいい学校

どうしても教室に入れない子も校長室には来る。
 「どうしたんや? 今日は元気ないなあ」
 そんなところから「聴く」ことが始まる。
 校長室だけではない。保健室や職員室にも生徒たちは「聴いてもらい」にやってくる。
 生徒たちからいろんな声が聴こえてくる。
 「俺、おでんが一番好きやねん」
 「よし、今度の土曜日、校長室でみんなでおでんをつくって食べようか!」


 「障害者の作業所って先生行ったことある?」
 「ない、いっぺん連れて行ってくれ」
 子どもの話を聴いているうちに、楽しみが増えてくる。
 先生たちが生徒との時間を自然に楽しんでいる。
 当然、「勉強教えて」という声もあがる。
 「家に居てるより、学校に居てるほうが面白い」と不登校の子が言いだす。

■人間関係づくりが基本

先生と生徒が仲良く、信頼し合える関係をつくる。
 あたたかい教師のまなざしがあたたかい学級集団をつくりだす。
 クラスで勝手にハイキングをしたり、誕生会をやったりする。
 甘やかしているのではない。
 生徒たちがおだやかになり、学校が落ち着いてきた。
 生徒指導の問題行動が減った。
 部活動が活発になり市の大会で優勝するクラブも出だした。
 文科省の学力テストの学校全体の成績が、先生たちが驚くほど向上した。

教育はチームでするもの

「聴く」必要性を知り、「聴く」スキルを持っていたとしてもそれだけでは不十分である。
 「聴きたい」という気持ちがなければならない。聴こうとし、理解したいという気持ちで生徒に接する教師が増えた。
 教師たちの心に、忙しいけれど安心とゆとりが生まれてきた。
 「生徒と過ごす楽しい時間は、この校長さんからもらったように思う」
 と一人の教師が言った。
 決して雄弁でなく、言葉少ない寡黙な校長さんが、一人ひとりの生徒の話を、いとおしく思うまなざしで聴く姿が教職員の多くに共有された時、この学校は変わった。
 「子どもの話を聴いたってくれ」

著者経歴

  • 元大阪府堺市教育長
  • 元大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長
  • 元文部省教育課程審議会委員