No.70 平成21年2月 発行
「...why a man whose father less than 60 years ago might not have been served in a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath.」
(60 年足らず前だったら、地元のレストランで食事をさせてもらえなかったかもしれない父を持つ男が神聖な宣誓のためにあなたたちの前に立つことができるのはどうしてか。)
オバマ大統領就任演説の中で、私の印象に強く残っている一節である。世の中は変わっていく。
変わっていない人を「学校現場」で、しばしば発見する。
昭和の時代から、チョーク一本と教科書で授業していた人が、今でも同じような授業をしている。
テレビの「世界で一番受けたい授業」までいかなくても、子どもたちが受け身でなく、五感をフルに活用するような工夫ができないかと思ってしまう。
このインターネットの時代に「化石のような授業」が残っている。
「生徒指導」もそうだ。
昭和の生徒指導は、力でおさえればなんとかなった。体育会系の恐い先生が号令をかければ生徒たちは従った。
体罰ですら容認される雰囲気があった。
禁止と管理で取りしまるのが生徒指導という側面が強かった。
阪神淡路大震災の時、電話は通じなかった。携帯電話を持っている人もほとんどいなかった。
平成8年O157 食中毒事件が起こった時も、あとしまつの為に走っている教育長の私の公用車には自動車電話がつまれていた。
あれからわずか、10 数年、携帯電話はアッというまに普及し、中学生高校生までほとんどが持っている時代になった。
自動車電話はもう見られなくなった。
携帯電話は生活の必需品になった。
携帯電話によるトラブルや被害が多発するようになった。
今日の「生徒指導」の重大な課題のひとつに、この携帯の指導がある。
今頃になって「携帯電話は禁止」「子どもに携帯は持たせないように」という運動が始まった。はたしてうまくいくだろうか。
「いのちの次に大切なのは携帯」という生徒もたくさんいる。
自動車は交通事故を起こすから乗ることを禁止するというのが無理なのと同じくらい、携帯を禁止するのはむずかしい。
昭和の生徒指導では対応できない。
携帯電話の電磁波は強力である。電磁波が与える脳や肉体への影響が将来どのように現れるかデータがまだ蓄積されていないだけに心配という見方もある。
性の被害にあう女子生徒の数は予想をはるかに超える。
メールによる「いじめ」「恐喝」などで高校生を中心に自殺する子もあとをたたない。
インターネットと接続できるようになって、学校裏サイトなどへの匿名のいやがらせによる不登校も増えている。
時代はここ数年でどんどん変わっている。
危険だから禁止、ではなくて、「交通事故」にあわない携帯の使い方を、時代に乗り遅れないように考えていくことが求められている。
携帯の指導は禁止ですむほど甘くはない。
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