ブックタイトル令和3年度版「中学道徳 あすを生きる」内容解説資料

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概要

令和3年度版「中学道徳 あすを生きる」内容解説資料

国際理解プラットホーム人は,国や民族,宗教,貧ひん富ぷの差に関係なく,みんなが幸せになる権利をもっています。それは,10年後,100年後,1,000年後に生まれてくる人々にも,そして人だけでなく,この地球に暮らすすべての生物に対してあてはまることです。それぞれの権利を守るために,今を生きる私たちには,この地球を大切に未来へつなぐ義務があります。今,私たちにできることはなんでしょうか。地球で分かち合う,幸せな未来PICK UP!1年21富ふ士じ山さんから変えていく2年11美しい鳥とっ取とり砂さ丘きゅう3年22「川かばた端」のある暮らしPICK UP!1年12花火に込こめた平和への願い2年9戦争を取材する3年27本とペンで世界を変えようPICK UP!1年16震しん災さいを乗り越こえて―復活した郷土芸能―2年12和かず樹きの夏祭り3年26父は能楽師PICK UP!1年27ゆうへ―生きていてくれてありがとう―2年20行動する建築家坂ばん茂しげる3年13「稲いなむらの火」余話プラットホーム109 プラットホーム108まとめ今の地球を守り,それぞれの幸せについて考えることは,かならず未来へとつながっていきます。地球のみんなで幸せを分かち合っていくために,あなたなら何ができるか,まずは小さなことから考えてみましょう。学習をとおして考えてみよう自然とともに生きていく私たちは,自然の豊かさに支えられながら生きています。今ある自然を守りながら,ともに生き続けていくために,大切にしなければならないことはなんでしょうか。世界の平和をめざして世界中の人々が平等に扱あつかわれること。十分な教育を受けること。命をおびやかされることなく,平和に暮らしていくこと。そんなあたりまえを私たちの手で実現するために,何を考えていけばよいでしょうか。生き続けるまち・伝統・文化時代とともに変わっていくまちに,これからも住み続けていくために。発展や復興のなかで,先人たちが育んだ伝統や文化を生かし続けていくために,大切にすべきことはなんでしょうか。ふりかかる災害と向き合う災害は,いつ,誰だれの身にふりかかってもおかしくありません。大切な命を守り,災害に立ち向かっていくには,どんな心がけが必要でしょうか。道徳科の学習では,以下のような教材をとおして考えることができます。ユネスコスクールは,ユネスコ憲章*に示されたユネスコの理念を実現するため,平和に向けた取り組みや国際的な連れん携けいを実じっ践せんする学校です。2018年10月現在,世界182か国で11,500校以上,日本国内では1,116校が加盟し,持続可能な社会の発展をめざしてさまざまな活動を行っています。*ユネスコ憲章…1945年に国連教育文化会議で定められ,翌年から発効した。ユネスコスクールの取り組み多た摩ま市では,「2050年の大人づくり」をキャッチフレーズに,すべての公立小中学校がユネスコスクールに加盟しています。このうち,諏す訪わ中学校では,在日米国大使館から外交官の方を招いて交流会を行っています。生徒たちは英語を,外交官の方は日本語を交えてお互たがいの国の文化や価値観を紹しょう介かいし,日本とアメリカのさまざまな違ちがいについて理解を深めています。こうして視野を大きく広げることは,「他国とどのように手を取り合い,行動するか」を考えるきっかけにもなっています。「北ほく中ちゅうまちづくりプロジェクト」は,地元である勝かつ山やまを「美しく,元気に,有名に」するための活動です。生徒たちは,川の清せい掃そうをはじめとする環かん境きょう保全活動,地域の伝統産業体験や地域行事への参加,勝かつ山やまPRグッズの作成・販はん売ばいなどをとおして,勝かつ山やまのよさを再認にん識しきしています。「大人になっても住み続けたい」と思えるまちづくりをめざした生徒たちの行動が,地域を守り,地域の魅み力りょくを発信し,生かし続けることにつながるのです。生徒による和服の紹しょう介かい勝かつ山やまPRグッズとして作成したエコバッグ(左)とクリアファイル(右)東とう京きょう都多た摩ま市立諏す訪わ中学校外交官との交流会福ふく井い県勝かつ山やま市立勝かつ山やま北ほく部ぶ中学校北ほく中ちゅうまちづくりプロジェクト給食をともに108-109地球で分かち合う,幸せな未来_190301_2.indd 108-109 2020/02/28 10:54:1951022自然を愛する木の声を聞く121 22木の声を聞く22木の声を聞く120●満開に咲さき誇ほこる大おお藤ふじ(栃とち木ぎ県足あし利かが市)塚つか本もとこなみ120-125 1-22_木の声を聞く_170317.indd 120-121 2020/02/28 11:00:1251015510152035希望188189 35希望街をさらったのは、命を奪うばったのは、一いっ瞬しゅんだったのでしょう。人々の記き憶おくからけっして消えることのない三月十一日。大地じ震しんと津つ波なみにより、たくさんの悲しみ、苦しみが、この日本に生まれました。あの日、街は光一つない、暗くら闇やみの世界となりました。ろうそくの明かりに家族全員で集まり、唯ゆい一いつの情報源であるラジオに耳を傾かたむけました。ラジオからは、大きな津つ波なみが沿岸部を襲おそい、甚じん大だいな被ひ害がいが出ていることが伝わってきました。私は、ただただ不安と恐きょう怖ふにおびえているだけでした。しかし、母の不安と恐きょう怖ふは、私とは比べものにならなかったに違ちがいありません。私の母は南みなみ三さん陸りく町の出身です。母の両親をはじめ、兄妹、たくさんの親しん戚せきが住んでいました。家族を、故郷を心配する母の気持ちは、震ふるえる沈しずんだ声から、はっきりとわかりました。次の朝、とても薄うすい、けれど、とても重い新聞が届きました。紙面一面に掲けい載さいされた、黒い水に漬つかった街。赤い炎ほのおに包まれる家。新聞には、心配していたことが、現実となって写っていました。母の故郷、南みなみ三さん陸りく町にも津つ波なみが来たことは明白でした。「最悪の事態を覚かく悟ごしなければならない。」母の言葉に、私は声をかけることも、何かしてあげることもできませんでした。母は、昼間は家事をこなし、気き丈じょうに振ふる舞まいます。しかし、夜になると、故郷を思い続け、涙なみだを流していました。そんな夜が数日続き、見かねた父が、南みなみ三さん陸りく町へ向かいました。母の覚かく悟ごは間ま違ちがっていませんでした。帰ってきた父は一言「だめだった。」そう言ったのです。多くの親しん戚せきの命が奪うばわれ、その中には、新たな小さい命を授さずかったばかりの叔お母ばもいました。私は、涙なみだが止まらず、生まれて初めて、祈いのりのために目を閉じました。その祈いのりがかなったかのように、私たち家族のもとに、朗報が届きました。祖母が生きていたのです。祖母は、津つ波なみをかぶり、がれきとともに流され、気を失いながらも、発見され、仙せん台だいの病院へヘリコプターで運ばれ、一命をとりとめたのです。それは奇き跡せきとしか言いようがありませんでした。祖母と再会したのは、震しん災さいから一週間ほどたってからでした。「よかった。」「会いたかった。」喜びと安心感に満ちた母の声を、やっと聞いた気がしました。祖母は、「私だけ生き残ってしまった。」そう言って泣いていました。しかし、母と会えて元気を取り戻もどしたのでしょう。私たちが帰る頃ころには、「残された命、最後まで生きないとね。」と力強く、自分自身に誓ちかうように言ったのです。私は、その言葉に、心がざわざわとしました。今、私は、自分の命を大事に生きているのか、問いかけられた気がしたからです。震しん災さいから一か月後、私は、母の故郷、南みなみ三さん陸りく町を訪おとずれました。幼い頃ころから見慣れていた景色はどこにもありませんでした。見えるはずのない場所から、何もなかったかのような顔をしている海がやけにはっきり見えました。私の目に、もう一つはっきりと見えたものがありました。がれきだらけの荒こう野やの中、懸けん命めいに復興へ向けて働く人々の姿でした。心にも身からだ体にも深く大きな傷を負ったであろう南みなみ三さん陸りく町の人々は、けっして諦あきらめず、町のあちらこちらで動きだしていました。その●2010年9月15日,宮みや城ぎ県南みなみ三さん陸りく町の志し津づ川がわ駅裏にあったひまわり畑35かけがえのない生命希望私岩手県いわて秋田県あきた山形県やまがた福島県ふくしま太平洋たいへいよう宮城県みやぎ志津川駅志津川駅しづがわしづがわ仙台市せんだい0 10km南三陸町みなみさんりく東北新幹線東北新幹線とうほくとうほく仙台湾せんだいわん気仙沼線けせんぬま気仙沼線けせんぬま188-191 3-35_希望_170328.indd 188-189 2020/02/28 10:43:24p.108「地球で分かち合う,幸せな未来」1年p.120「22木の声を聞く」1年3年p.188「35希望」樹木の声に耳を澄ます樹木医・塚本こなみさんの思いから,自然を愛する心について考えられる教材です。東日本大震災で被災した中学生の作文から,かけがえのない生命について考えられる教材です。防災、生活安全、交通安全など、安全教育に関わる内容を取り上げています。大切な命を守ることについて考えるテーマです。自然愛護の心や畏敬の念に関わる内容を取り上げています。今ある自然を守り、ともに生きていくことにつながるテーマです。持続可能な社会の創造をめざして地球の未来について多面的・多角的に考えられるよう、ESD(持続可能な開発のための教育)、SDGs(持続可能な開発目標)などに対応する幅広いテーマも取り上げています。持続可能な社会の創造について早期から関心をもち、3年間の見通しをもって取り組めるようなコラムを1年生に新設しました。各テーマを見通すコラム環境安全に生きる新コラム「いま」「これから」の課題への取り組みなどなど26現代的な諸課題への対応5105101520151 27本とペンで世界を変えよう15027本とペンで世界を変えよう27本とペンで世界を変えよう世界平和を考えるマララが十一歳さいのとき、イギリスの公共放送の依い頼らいで、スワートの現状をブログに発表することになった。女の子たちが学校へ通えなくなってしまったことと、どうか自分たちにも教育を受けさせてほしいという思いをつづったこのブログは、多くの人の心に響ひびいた。このとき、マララはグル・マカイというペンネームを使わなければならなかった。本名だと、武装勢力に狙ねらわれる恐おそれがあるからだった。(武装勢力と戦う私なりの方法がわかってきたわ。私たちが上げる声には、世の中を動かす力があるのよ。)その後、パキスタン軍がスワートへ入り、武装勢力を追放した。二〇一一年十二月、マララはパキスタン政府から、最初の国民平和賞を与あたえられた。危険を顧かえりみずに、教育を受ける権利を訴うったえてきたマララをたたえるもので、のちにこれは「マララ賞」と名づけられた。スワートには平和が訪おとずれたはずだった。しかし、武装勢力の有力者は、捕つかまってはいなかった。マララは武装勢力に命を狙ねらわれることとなる。二〇一二年十月、学校から帰るバスの中にいたマララを、三発の銃じゅう弾だんが襲おそった。十五歳さいの少女が撃うたれたというニュースは世界中で報道され、大きな反はん響きょうを呼んだ。一時は、助かる見み込こみがないと言われながらも、マララは奇き跡せき的な回復を遂とげた。事件の翌年の七月十二日、マララは国際連合(国連)の本部に招かれた。この日はマララの誕生日であり、国連はこの日を「マララデー」と決めた。この日のマララのスピーチは、とても力強いものだった。二〇一四(平へい成せい二十六)年、パキスタン出身のマララ・ユスフザイがノーベル平和賞を受賞した。このとき、マララは十七歳さい。史上最年少で受賞した彼かの女じょは、授賞式のスピーチで発展途と上じょう国こくの子どもたちの教育にもっと力を入れるよう、世界各国の人々へ訴うったえかけた。「戦争で子どもの命が失われることも、子どもが学校に通えないことも、これで終わりにしましょう。」マララの一家は、パキスタンの北部にあるスワートという地域に住んでいた。谷や川があり、自然に囲まれた緑豊かで美しいところだった。マララは、父親が経営している女学校へ通っていた。パキスタンでは、男女がともに学べる学校がほとんどない。それどころか、女性に教育は必要ないという考えが一いっ般ぱん的てきであった。しかし、父はマララにも教育を受けさせてくれた。マララが九歳さいの頃ころ、武装勢力がスワートを支配し始めた。彼かれらは女性が教育を受ける権利を認めなかった。武装勢力は、自じ爆ばくテロや襲しゅう撃げきを繰くり返し、多くの人の命を奪うばった。緑が美しかった谷は血に染まり、多くの女学校が破は壊かいされ、マララは大好きな学校へ行けなくなってしまった。マララ・ユスフザイ0 500kmイスラマバードイスラマバードパキスタンインドアフガニスタン中国ちゅうごくスワートアラビア海インダス川●教育を受けるパキスタンの少女150-153 3-27_本とペンで世界を変えよう_170328.indd 150-151 2020/02/28 10:45:17510155181 34包む18034包む34ふろしきは、もと平ひら包づつみともいわれ、入浴の時に用具を運んでいき、衣服を脱ぬいで包み、ふろからあがったあとにはその上で衣服を着けるのに使われたという。一枚の布で、持ち運び用の袋ふくろ、脱だつ衣いかご、バスマットをかねたわけである。ふろしきは、それ自体に形がないから、中身に合わせて、四角い物も丸い物も包むことができる。革かわのバッグでは形が決まっているために、用よう途とや中身によって何種類も必要になる。ふろしきは、不必要になれば畳たたんで小さくすることもできる。古いバッグの再利用は難しいが、ふろしきは幾いく枚まいあっても場所をとらないし、のれんや敷しき物ものやぞうきんに使うこともできる。ふろしきの思想は、日本のふとんや部屋の使い方にも共通している。ふとんを畳たたんで押おし入れにしまい、隅すみに折り畳たたんであったちゃぶ台を出せば、同じ部屋を寝しん室しつから食堂へ、そして茶の間へと自由に変形できる。このように時と場合によって形態や機能を変えるのは、わたしたちの住生活が貧しいからではない。寝しん室しつにはベッド、食堂にはテーブル、居間にはソファーを置くには、その目的だけの固い箱(部屋)が必要で、空間の使い方は限定されてしまうだろう。ふろしきの思想は、和服にも共通している。着物は、二十代の人が四十代になって体型が変わっても着られる。変形も容易である。洋服のように身からだ体に合わせて切り刻んでないから、もとの布に戻もどして仕立て直すこともできる。そして使わないときには、畳たたんでしまえるから、型かた崩くずれしないように固い大きな箱(洋服ダンス)に掛かけておく必要はない。いつから、バッグはカッコイイが、ふろしきはダサイものになってしまったのだろう。なぜわたしたちは身近にあるよいものを認めて大切にしないで、遠くの外国のものばかりにあこがれるのだろう。包む日本文化の心●ちゃぶ台を出した和室●着物●四角いもの,丸いものを包む180-183 2-34_包む_170324.indd 180-181 2020/02/28 9:32:233年p.150「27本とペンで世界を変えよう」2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの生き方から,世界平和について考えられる教材です。ふろしきをはじめとした「包む」文化に触れ,日本文化の心について考えられる教材です。日本や各地域が受け継いできた伝統・文化に関わる内容を取り上げています。伝統・文化の発展や復興、そして継承について考えるテーマです。国際社会への理解を深める内容を取り上げています。世界のさまざまな課題に目を向け、平和の実現につなげるテーマです。「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称であるSDG sは、2 015年9月の国連サミットで採択された国際目標です。世界が抱えているさまざまな問題を解決し、持続可能な社会を創造していくために、世界各国が合意した17のゴールと169のターゲットから構成されています。伝統・文化p.180「34包む」2年SDGsの考え方新ユニット「よりよい社会と私たち」も、SDG sの内容に関わるものです。p.14詳しくは本書などなど国際理解https://www.un.org/sustainabledevelopment/p.46その他の教材は本書「テーマ別教材・コラム一覧」27