学び!とシネマ

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ローマの教室で~我らの佳き日々~
2014.08.14
学び!とシネマ <Vol.101>
ローマの教室で~我らの佳き日々~
二井 康雄(ふたい・やすお)

(c)COPYRIGHT 2011 BiancaFilm

 ローマにある、ごく普通の高校が舞台である。女性校長ジュリアーナ(マルゲリータ・ブイ)は、自らトイレットペーパーを交換したり、水が出たままの水道の栓を閉めたりする。古くから美術史を教えているフィオリート先生(ロベルト・エルリツカ)は、無気力で、同僚とのつき合いも皆無。教育への情熱は失せ、「生徒の頭はからっぽ」と嘆くだけ。そこに、国語の補助教員として若いジョヴァンニ先生(リッカルド・スカマルチョ)が赴任してくる。生徒になんとかやる気を持たせようと必死になる。

(c)COPYRIGHT 2011 BiancaFilm

 映画「ローマの教室で~我らの佳き日々~」(クレストインターナショナル配給)は、このような3人の先生を中心に、いろんな個性にあふれた生徒たちとの日々を描いていく。日本と比べて、イタリアの高校生は格段におませ。男女とも、すでに風貌、体格は大人である。
 ジョヴァンニ先生のクラスには、いろんな生徒がいる。万事、調子のいい生徒。授業中にもイヤホンで音楽を聴く生徒。ことあるごとに挑戦的な態度をとる生徒。ルーマニアからの移民だが、優等生もいる。
 もう老人といっていいフィオリート先生は、たまにではあるが、怪しげな場所で東洋系の女性と過ごしている。フィオリート先生に、かつての教え子らしい女性から電話がかかってくる。 
 ジュリアーナ校長先生は、教育は学校で行うべきで、学校の内と外とは区別すべき、という考えを持っている。しかし、母親が家出して学校の体育館で寝起きしている生徒には、親身になって面倒をみる。
 ジョヴァンニ先生は、態度の悪い女生徒に手を焼きながらも、家庭事情の複雑さを理解するにつれて、なにかと女生徒の支えになろうとする。
 決して、先生たちの理想通りに事は運ばない。先生とて聖人君子ではない。ミスも犯すし、生徒への誤解もある。ジョヴァンニ先生は、誤解から生徒の進級を拒否し、留年させたりもする。フィオリート先生は、昔の教え子の言葉から、学期最後の美術史の授業で、かつての熱い思いを取り戻す。先生とて人の子、逆に生徒から教えられて気付くこともある。
 映画は、教育とはかくあるべきなどと、野暮なことは言わない。結論も出さない。もともと、教育とは人間同士のつきあいである。年齢や経験の有無や、その差はあるかもしれないが、突き詰めると人と人の触れ合いである。
 イタリアの国民的詩人、ジャコモ・レオヴァルディや、アメリカの女流詩人のエミリー・ディキンソンの詩が、ジョヴァンニ先生の授業に出てくる。必死に詩の持つ意味や素晴らしさを説いても、その真意はなかなか生徒には伝わらない。映画は性急に結論は出さない。たぶん、生徒たちは高校を卒業してから、レオヴァルディやディキンソンの書いた詩を読み直し、その意味を理解することになるのだろう。

(c)COPYRIGHT 2011 BiancaFilm

 イタリアの名優3人を演出し、脚本を書いたのはジュゼッペ・ピッチョーニ。「もうひとつの世界」や「ぼくの瞳の光」などを撮り、いろんな映画祭で多くの賞を受賞している。原作は、長く教鞭をとっていたマルコ・ロドリのエッセイ「赤と青」。映画の原題も「赤と青」だ。学校の成績で、赤とはギリギリのセーフ、青は落第、あるいは留年を意味するペンの色である。ジョヴァンニ先生が生徒から借りた青いペンのエピソードが暗示に満ち、うまいタイトルと思う。
 大上段に振りかぶらず、高校の現場、その周辺での教師と生徒の触れ合いを淡く描いた、なかなかに味のある一作。

2014年8月23日(土)より岩波ホールico_linkほか全国順次公開!

■『ローマの教室で~我らの佳き日々~』

監督・脚本:ジュゼッペ・ピッチョーニ
出演:マルゲリータ・ブイ、リッカルド・スカマルチョ、ロベルト・エルリツカ
2012年/イタリア/イタリア語/101分/デジタル/シネスコ
原題:Il rosso e il blu
原案:マルコ・ロドリ著「赤と青 ローマの教室でぼくらは」晶文社 8月23日刊行予定
字幕翻訳:岡本太郎
配給・宣伝:クレストインターナショナル