学び!とPBL

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OECD東北スクール④
2018.11.20
学び!とPBL <Vol.08>
OECD東北スクール④
三浦 浩喜(みうら・ひろき)

1.レジリエンス

図1 全員でチームTシャツを着て記念撮影 OECDが、このプロジェクトが直面することになるであろう困難や混乱をどこまで想定していたのか、今となっては知る由もありません。しかし私たちが解決すべき課題は予想をはるかに超え、一つ問題を解決すると二つ新たな問題が生まれるといった「ねずみ算」のような状態が延々と続き、ToDoリストの数は500や1000をはるかに超えていたと思います。
 4月にようやく参加している高校生全員がパリに渡航できる目処がついた直後に、数名がチームからの離脱を申し出てきました。その中にはこれまでがんばってきた中心メンバーも教師も含まれていました。OECD本部に記念植樹するためにパリで育てていた桜の苗木が、全て枯れてしまったという知らせを受けたのもそのようなときでした。イベントでは、パリ側との金銭面のやりくりがうまくいかず、国際弁護士を立てて毎週のように厳しい交渉を続けました。6月にリハーサルを行いましたが、前年の12月からほとんど進んでおらず、このままで本当にパリでイベントを開けるのかどうか、生徒も大人もOECDも文科省も、その深刻の度は深まるばかりでした。
図2 OECDフォーラムにて(中央の2人が東北スクール生徒) そのような中、パリで開催されたOECDフォーラムに招待された東北スクールの高校生が、自分たちの取り組みを各国の参加者の前で報告し、大絶賛されたという知らせが届きました。フォーラムのテーマは「レジリエンス」。レジリエンスとはもともとは心理学の用語で、精神的な強いショックからの立ち直りを意味します。震災からの復興はまさにレジリエンスのプロセスであり、ボールの跳ね返りのようにむしろショックを機に以前よりも高いレベルにもっていくことも表しています。私たちの数限りない苦労はすべて「レジリエンス」に収れんしていくように思えました。
 朗報は続きます。シンガーソングライターのmiwaさんが生徒たちの手紙に共感し、私たちのためにテーマソングを書いてくれることになり、生徒たちは興奮しました。加えて、活動を停止してしまっていた生徒の何人かがプロジェクトに戻ってきてくれました。東京・丸の内の国内プレイベントの開催も決まり、また、パリイベントの様子を東北で同時中継するパブリックビューイングも実現する運びとなります。さらに、生徒たちのオファーに応える形で、被災3県がパリイベントにブースを出展することとなり、多くの企業もそれに続きました。渡航直前まで緊張状態から解放されることはありませんでしたが、生徒の頑張りと大人の頑張りが共鳴しはじめ、様々な人々を巻き込み始めたことを実感しました。
図3 文部科学省で東北復幸祭〈環WA〉の記者会見 OECD東北スクールのスタートは、生徒も大人もバラバラのビジョンからスタートしました。今数々の危機的状況を一つひとつ乗り越える経験を重ね、少しずつ構成員のビジョンが一つの方向に向かうようになっていった、ということができます。プロジェクト学習は、教科書的にはスタートの時点で参加者が共通のビジョンを持っていてそれを実現すること、となっていますが、様々な経験や学び、成功や失敗を繰り返して参加者が共通のビジョンを形づくっていくことが真の姿だと確信しました。

2.パリ、8月30日、晴天

 この年のフランスは異常気象続きで、夏だというのに毎日のように雨が降り続き、気温も20度ほどの冷夏となっていました。しかし、この日のために取っておいたかのように、当日はそれまでの天候不順がうそのように晴れ渡りました。パリが私たちの「東北復幸祭〈環WA〉in PARIS」を歓迎しているかのようでした。
 ここエッフェル塔前に広がるシャン・ド・マルス公園は19世紀末のパリ万博の会場となった由緒正しい公園で、私たちは世界で初めて、フランス国外として借り受けることができたのです。会場を訪れたアンヌ・イダルゴ・パリ市長は「この公園をあなた方に貸したことは、パリ市にとっても意義深いこと」とおっしゃいました。会期の2日間、会場には2年半の間に協力をいただいた多くの方々が足を運び、パリに集まった世界中の人々が生徒たちの発表に耳を傾け、バルーンを見上げては東北を襲った津波のスケールを想像し、プロジェクトに参加した高校生たちの努力を惜しみなくたたえました。
 サポートに当たっていた大学生に頼んで来場者数を統計的にはじき出してもらったところ、149,664人となり、生徒が掲げた無謀な成功指標の15万人にほぼ到達しました。
図4 イベントが終わってリーダーを胴上げ 翌日、朝早くから反省会と修了式とを忙しく行い、生徒たちは日仏経済交流協会からプレゼントされたセーヌ川クルーズを楽しみました。その翌日は、フランス中を探し回ってやっと見つけた東北の桜をOECDの中庭に植樹するセレモニーを行い、最後にあのマーシャルプランが締結された部屋で「2030年の学校を考える生徒・大人合同熟議」を行い、すべてを終えた生徒たちは様々な思いを胸に帰途につきました。
 「東北復幸祭〈環WA〉」の詳細は報告書を参照していただきたいと思いますが、報告書の最後の部分を引用してOECD東北スクールの紹介をひとまず閉じたいと思います。

 「OECD東北スクール2年半のあゆみは、不可能へのチャレンジの毎日であり、社会に引かれた既存の境界線を越える冒険だった。境界線を飛び越えた先から見えた自分たちの「居場所」の姿は、否応なしに私たちの「精神的鎖国状態」を揺さぶった。上記したような生徒達の大きな成長と、それを支える根のように複雑に絡み合ったネットワークは、この「鎖国状態」を打ち破る強力な武器になるのではないかと期待される。これらは、プロジェクトの第2期に引き継がれる。
 感動的なイベントを終えて生徒達が帰っていく場所、それは住み慣れた昔ながらのふるさとではなく、いまや大きな世界の一部となった自分の町、新たな発見と驚きを与えてくれる新天地であってほしい。学びは世界を開く。イノベーションは、ものごとを突き放し客観的に見ることから始まる。」