学び!とシネマ

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ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス
2019.05.16
学び!とシネマ <Vol.158>
ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス
二井 康雄(ふたい・やすお)

© 2017 EX LIBRIS Films LLC – All Rights Reserved

 大学まで、学校では図書館ではなく、図書室だった。授業とは関係のない本ばかり読んでいた。小学校のころは、鉄道関係の絵本。中学では、青少年向きに翻訳された海外の文学やミステリー。高校では、映画ばかり見ていたので、少ししか置いていなかった映画関係の本だった。大学では、音楽や演劇関係の本を多く読んでいたと思う。そんなことをふと思い出させてくれたのが、とてつもない数の本や資料の蔵書があるという図書館のドキュメンタリー映画で、フレデリック・ワイズマン監督の「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」(ミモザフィルムズ、ムヴィオラ配給)だ。
 この図書館は、観光名所になっているほど有名な図書館である。本館をはじめ、ニューヨークにある公共図書館の総称で、多くの図書館の集合体だ。ニューヨーク、ブルックリン、クイーンズの3つの公共図書館のほか、4つの研究図書館(黒人文化研究、舞台芸術、科学産業ビジネス、人文社会科学)がある。さらに、88もの地域分館がある。
 映画は、驚きの連続である。日本のあちこちにある図書館とは、雲泥の差。その活動範囲が膨大なのだ。
 もとより図書館は、単に、図書の閲覧をするだけの場ではない。ニューヨーク公共図書館では、インターネット社会に対応する取り組み、市民向けの公開レクチャーや、コンサートも開催する。さらに、学術研究や、ビジネス、地域コミュニティなどへの支援まで行う。
 映画に出てくるシーンを、ざっとたどってみよう。誰でもが参加できる「午後の本」という、ゲストを招いてのトークがある。この日のゲストは、「利己的な遺伝子」を書いたイギリスの生物学者、リチャード・ドーキンスだ。アメリカのキリスト教原理主義を、痛烈に批判する。
 年間3万件もの電話の問い合わせに、司書たちが、丁寧に対応している。マークスという館長が、公と民の共同作業について力説する。舞台芸術図書館では、ピアノのコンサートを開催している。ブロンクス分館では、消防署や建設現場で働く女性など、さまざまな職業の人たちが、就職支援プログラムの説明会でレクチャーする。
© 2017 EX LIBRIS Films LLC – All Rights Reserved 予算をめぐって、幹部たちが会議を開いている。高校生たちが、課外授業として、図書館のピクチャー・コレクションの利用について学んでいる。ミュージシャンのエルヴィス・コステロのトークがあり、コステロは、イギリスのサッチャーを批判する。幹部たちは、IT設備をめぐっての議論を続けている。
 「午後の本」トークに、詩人のユーセフ・コマンヤーカが登壇し、言葉の持つ政治性について語る。点字・録音図書館では、点字の読み方、打ち方を教えている。障がい者のために、住宅手配のためのサービスがあり、担当者もまた視覚障がい者だ。ミッドマンハッタン分館の運営委員の女性が、「図書館は本の置き場ではない。図書館は人」、「未来に図書館は不要と言った人は、図書館の進化に気づいていない」などと語る。
 黒人文化研究図書館では、黒人たちの手になるアート作品の展示がある。幹部たちは、外部スタッフたちと、行政との関係について、議論している。住民参加の読書会では、ガルシア・マルケスの「コレラ時代の愛」を読む。
 図書館の舞台裏では、資料のデジタル化が進んでいる。ハーレム地区の分館では、ネット環境のない住民に、ネット接続の出来る機器の貸し出しを検討している。シニアのためのダンス教室もある。黒人文化研究図書館の設立90周年の祝賀パーティが開かれ、ムハンマド館長が、黒人女性芸術家の言葉を引用して、挨拶する。作家トニ・モリスンの「図書館は民主主義の柱」と、詩人・女優の「図書館は雲の中の虹」と。
 そのほか、幹部会議では、ホームレス問題を議論し、蔵書規定の見直しも検討する。パティ・スミスがライブに登場し、ジャン・ジュネへの敬愛ぶりを語る。
 とにかく、ニューヨーク公共図書館の活動の幅の広さ、未来を見据えた視点が、ストレートに伝わってくる。ふと、近くの公立の図書館を覗いてみた。平日のせいか、すいている。かなりご年輩の人が多い。雑誌や新聞を読んでいる。DVDで、映画を視聴できる一角があるが、誰も利用していない。なんとも、ニューヨークと都下の市、ひいては、日本とアメリカとの違いが著しい。
© 2017 EX LIBRIS Films LLC – All Rights Reserved 図書館は、単に無料貸本屋ではない。10年ほど前、岩波新書の「未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告―」(菅谷明子 著)という本を読んだ。ニューヨーク公共図書館の実態が、よく分かる。図書館で、自らの夢を実現した人たちを紹介し、図書館のビジネス支援や芸術への理解、市民との関わり、図書館の舞台裏などが、明快に書かれている。そして、インターネット時代だからこその図書館の果たす役割について触れている。217ページにこうある。「…今後、情報化がますます加速し、デジタル時代が進展しても、図書館が持つ基本的な機能は変わらないどころか、むしろ形を変えてますます重要になるだろう。」
 ニューヨーク公共図書館の財源は、市予算からと民間の寄付である。日本にも、国公立の図書館は多くあるが、はたして、民間の寄付は? いくつかの図書館では、民間や地元企業からの寄付や協力があり、企業が手がけた図書館もあるが、事例は少ないようだ。
 映画を見て思う。ほんとうの民主主義は、誰もが、文化的に暮らしていく上での多くのサービスを受けられることだ、と。図書館だけの話ではない。日本国憲法第三章「国民の権利および義務」の第二十五条はこうだ。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。
 「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」を撮ったフレデリック・ワイズマン監督は、多くの優れたドキュメンタリー映画を撮っている。つい最近では、「ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ」がある。ジャクソンハイツに住む、さまざまな人種の地域コミュニティの実態を、3時間9分にわたって、詳しくドキュメントしている。今回もまた、3時間25分と長い映画である。ところが、ちっとも長さを感じさせない。
 ナレーションは、ない。効果音楽もない。詳しい説明はない。ただ、淡々と、撮影現場にカメラを据えているだけである。だから、観客は、いつも、カメラとともに、現場にいるような感覚になる。監督は、1930年生まれ。いまなお、優れたドキュメンタリーを撮り続けている。
 図書館のありようから、民主主義の根幹を考えさせてくれる、優れたドキュメンタリー映画。必見だろう。

2019年5月18日(土)より、岩波ホールほか全国順次ロードショー!

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』公式Webサイト

監督・録音・編集・製作:フレデリック・ワイズマン
原題:Ex Libris – The New York Public Library/2017/アメリカ/3時間25分/DCP/カラー
配給:ミモザフィルムズ/ムヴィオラ