学び!とシネマ

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存在のない子供たち
2019.07.18
学び!とシネマ <Vol.160>
存在のない子供たち
二井 康雄(ふたい・やすお)

©2018MoozFilms/©Fares Sokhon

 レバノンという国には、シリアからの多くの難民がやってきて、戸籍などなく、暮らしている。レバノンの人口は、ざっと600万人。そこに、約100万人もの難民が押し寄せているらしい。ことに首都ベイルートには、20数万人もの難民が、ほぼ着の身着のまま、逃れてきている。難民の人たちの現状は、アイ・ウェイウェイ監督が世界じゅうの難民を取材したドキュメンタリー映画「ヒューマン・フロー 大地漂流」を見ても分かるように、なんとも悲惨だろう。
 映画「存在のない子供たち」(キノフィルムズ配給)は、フィクションではあるが、レバノンの実情をじっくりと調査し、ほぼ忠実に構成したものだ。だからリアル、観客はまるで、その場にいるようだ。場所は中東のどこかで、特定されてはいないが、明らかに、シリアからレバノンに逃れた家族のドラマという設定だ。
 冒頭、裁判所で、まだ幼い少年が話し始める。「こんな世の中に、僕を産んだ罪で、両親を訴えたい」と。少年の名はゼイン(ゼイン・アル=ラフィーア)。両親が出生届を出していないので、年齢は分からないが、ほぼ12歳くらい。
 ゼインは、ある男を刺した罪で、少年刑務所に収監されている。映画は、裁判のシーンを挟みつつ、なぜゼインが、いま裁判所にいるのかを明かしていく。
 中東のある町に、貧しい人たちが暮らしている一角がある。ゼインは、学校に行けず、毎日、あやしげなジュースを売ったり、おんぼろアパートの大家が営む雑貨店を手伝ったりしている。ゼインのせめてもの支えは、まだ11歳くらいの妹サハル(シドラ・イザーム)といっしょに過ごすことくらい。
©2018MoozFilms/©Fares Sokhon 現実は厳しい。父親は、家賃代わりに、サハルを大家に嫁がせようと、バイクで連れ去ってしまう。必死に抵抗したゼインは、いまやひとりぼっちで、ついに家を出てしまう。
 「なにか仕事を」と頼むゼインだが、子どもの出来る仕事などはなく、だれも相手にしてくれない。お金がなく、食べるものを買えないゼインを見たラヒル(ヨルダノス・シフェラウ)という女性が、ゼインに救いの手をさしのべる。
 レストランに勤めているラヒルは、エチオピアからの移民で、偽の滞在許可証で働いている。住んでいるのはひどい部屋で、そこには1歳になるヨナス(ボルワティフ・トレジャー・バンコレ)がいる。ヨナスの面倒をみることを条件に、ゼインはラヒルの家に住むようになる。
 12歳のゼインが、1歳のヨナスを育てる。ラヒルの偽の滞在許可証の期限が切れる。偽の滞在許可証を売りつける悪徳業者がいて、べらぼうなお金を請求してくる。そんな頃、突然、ラヒルが姿を消す。残されたゼインは、ヨナスとともに、町をさすらうことになる。ゼインは、スケートボードの上に大きな鍋を結びつけ、鍋の中にヨナスを乗せる。そして、やはりあやしげなジュースを売り歩き、必死に生き延びる。
 なんとも悲惨、過酷だ。まだ幼い少年ゼインの瞳は、世界の悲しみをすべて見つめたような表情を見せる。逆に、1歳のヨナスは、音楽にあわせて体をゆすり、とてもあどけない笑顔だ。やがて、ゼインは、ある男を刺すことになる。
 共同で脚本を書き、監督したのは、レバノンの女優であるナディーン・ラバキー。見事な構成で、中東レバノンの現実を切り取る手腕に、脱帽だ。監督自身、映画の終盤で、女性弁護士役で出演している。
©2018MoozFilms/©Fares Sokhon それにしても、なぜ、世界は、このような現実を見ようとしないのか。原因は、政治、おとなにある。「存在のない子供たち」が現実なんて、ありえないことだ。子どもは、いつの時代でも、存在しなくてはならないし、おとなたちが、子どもを守り、育てなければならない。
 映画は、第71回カンヌ国際映画祭で審査員賞とエキュメニカル審査員賞を受けている。エキュメニカル審査員賞は、カトリックとプロテスタントの組織「SIGNIS and INTERFILM」の審査員6名が選考し、「人間の内面を豊かに描いた作品」に贈られる賞だ。
 映画の原題は、「カペナウム」。新約聖書に出てくるガリラヤ湖の北西にあった町の名で、キリストのガリラヤ宣教の中心になった町である。
 マタイによる福音書の11章23節にこうある。「また、カファルナウム(カペナウム)、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罪で済むのである」。
 奢りたかぶる人間たちに、必ず裁きが下される。カペナウムという地名は、転じて、混沌、修羅場という意味合いを持つらしい。
 ゼインの悲しみに満ちた瞳と、無垢であどけないヨナスの一挙一動に、注目されたい。いつの時代、場所を問わず、おとなたちが、子どもを慈しみ、育てるのは当然のことである。裁きの日が訪れないように。

2019年7月20日(土)より、シネスイッチ銀座ヒューマントラストシネマ渋谷新宿武蔵野館ほか全国公開

『存在のない子供たち』公式Webサイト

監督:ナディーン・ラバキー 『キャラメル』
出演:ナディーン・ラバキー、ゼイン・アル=ラフィーア、ヨルダノス・シフェラウ、ボルワティフ・トレジャー・バンコレ 他
2018/レバノン、フランス/カラー/アラビア語/125分/シネマスコープ/5.1ch/PG12
配給:キノフィルムズ