学び!とPBL
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1.福島県双葉郡に教育を取り戻す
東京電力福島第一原子力発電所事故で被災した双葉郡内の高校は、県内8箇所のサテライト校に分散して授業をすることを余儀なくされ、おおよそ通常の高校生活とはかけ離れた生活を強いられていました。それでなくとも悲惨な避難生活を送っている生徒たちは、1時間も2時間もかけて登校し、別高校の体育館や空き教室などを使った臨時の教室に詰め込まれ、ビデオで授業を受けるなどの劣悪な状況となっており、一刻も速い救済が望まれていました。
しかしながら、町や村の復興という大命題の重大さから教育の復興は脇に置かれてしまいがちで、とりあえずは通える高校があれば当面しのげると受け止められていました。実際、劣悪なのは高校のみならず、双葉郡の各小学校や中学校もいわき市をはじめ他の自治体の学校を間借りしてなんとかやっていましたが、施設の不足やカリキュラムの実施不能、いじめ問題、そして限界を超えた教員の健康状態……と、あらゆる面で問題が噴出していました。
2.OECD東北スクールとふたば未来学園高校
双葉郡8町村の教育長たちは協働して、この状況を改善し、今の子どもたちがふるさとを復興する人材となるように育てるための教育復興に向けた「双葉郡教育復興ビジョン」をとりまとめる作業を始めました。地域の復興の鍵は教育にあるという信念を持って、既存の高校に代わって新設校を郡内に建造することを一つのゴールに位置づけました。避難先などに、散り散りになっている高校生や中学生、小学生を集め、どんな高校にすればいいのか子どもたち自身が考えるという前代未聞の「双葉郡子供未来会議」が3回開催され、とりまとめられたアイディアは高校生から教育長に手渡されました。
高校新設の一連の作業を進めるために奔走したのは、文部科学省生涯学習政策局の南郷市兵氏でした。南郷氏は東日本大震災発災直後から、教育に関わる被災状況を東北中から集め、単なる復旧に留まらない「創造的復興教育」を提唱し、被災地と文科省を毎日のように往復していました。「OECD東北スクール」も「創造的復興教育」の一つとして、南郷氏が文科省側の窓口となっていました。2012年から2014年にかけて「OECD東北スクール」と「ふたば未来学園高等学校」の準備作業は同時並行して進められ、その内容も含めて、両者は震災後に同時に育まれた「双子」だったのです。
「双葉郡教育復興ビジョン」の作業はスピードが求められていました。それは一つに、現在の子どもたちを一日も早く安心できる学校で教育しなければならないこと、もう一つは、被災地の状況は常に変化しており、ビジョンを実行するチャンスを逸してしまう恐れがあったことです。高校を新設する方針が固まった後でも「以前の高校の復活希望」「高校の立地場所の不公平感」「そもそも原発被災地に高校を新設する是非」など、きわめて困難な課題は途切れることはありませんでした。しかしこれらの重い課題を乗り越えたのは、他でもない8町村の教育長たちの「子どもたちに未来を取り戻させる」情熱以外の何ものでもありませんでした。
3.ふたば未来学園高校のスタート
小泉進次郎氏や秋元康氏、箭内道彦氏、平田オリザ氏ら各界から20名ほどが集まり応援団も結成されました。私はふたば未来学園高校の開校にはタッチしていませんが、それでも南郷氏とは新しくできる高校のイメージを何度話したことがあり、「ArtとWorkがコンセプトの学校になればいい」などと無責任に夢を描きましたが、この応援団は、その夢を現実にする力を持っていました。
ふたば未来学園は地域に開かれたカリキュラムを標榜し、被災地の抱える課題を学校として、生徒として受け止め、現実と格闘する、世界中のどこにもない唯一無二の学校です。2019年4月には待望の新校舎が完成し、中学生も入学してきました。同校は、地方創生イノベーションスクール2030のシンボルの一つでもありました。