学び!とシネマ

学び!とシネマ

人生、ただいま修行中
2019.10.30
学び!とシネマ <Vol.164>
人生、ただいま修行中
二井 康雄(ふたい・やすお)

©Archipel 35, France 3 Cinéma, Longride -2018

 もう30数年前になるが、看護婦(当時は看護師という呼称ではなかった)の仕事を取材したことがあった。印象深い発言があった。「人の人生の最期に立ち会うことができる。こんな職業は、ほかにはあまり、ない」と。
 40数年前に、長く入院していたことがある。看護婦の仕事を間近で眺めていた。週に夜勤が2回、多いときは3回。朝、寮に戻って、また夕方から勤務と聞き、たいへんな職業と思った。ベテランの看護婦さんもいたが、新人もいて、注射など、あきらかに技術の違いがあった。入院中のまま、亡くなった患者が何人もいた。
 フランスの映画監督ニコラ・フィリベールの「人生、ただいま修行中」(ロングライド配給)というドキュメンタリー映画を見て、昔のことが、あれこれとよみがえってくる。
 およそ人は、なんのために働くのだろうか。生きるため。家族のため。自己実現のため。さまざまな答えがあると思う。「誰かのために働くこと」の職業のひとつが、看護師だろう。
 「パリ・ルーヴル美術館の秘密」や「音のない世界で」、「ぼくの好きな先生」などを撮ったフィリベールは、2016年、塞栓症で倒れ、救急救命室に運ばれる。なんとか一命をとりとめたフィリベールは、医療関係者、ことに看護師といっしょに映画を撮ろうと決心する。選んだテーマは、看護師を目指す人たちが、看護学校でどのような教育、指導を受けて看護師となるのか、だ。
©Archipel 35, France 3 Cinéma, Longride -2018 パリ郊外にあるサンシモン看護学校に、看護師を目指す40人ほどの生徒がいる。年齢、国籍、出身地、宗教はさまざま。
 全体は3部構成で、冒頭に詩の一節が提示される。第1章は「逃げるからこそ捕らえる」。
 看護学校での、さまざまな訓練ぶりが、細かく紹介される。手の消毒。血圧の測定。ベッドから患者を抱え上げる。技術的なことばかりではない。教官が、看護師の心得を読み上げる。「看護師は全ての人々に対して 耳を傾け助言し 教育および看護をする 出自や慣習 社会的地位や 家庭環境 信仰 宗教 障がい 健康状態 年齢 性別 保険の有無にかかわらず 平等に看護を提供する」。看護師に限らず、どのような職業にも共通する心得だろう。
 授業は続く。長く入浴していない患者への対応。不当な謝礼は受けない。多くの患者に対応することで看護の質を落とさないなどなど。
 さらに、注射器の扱いや注射の方法。人工呼吸。新薬など薬の授業。採血の実技や血液型や輸血の知識。乳児の吐かせ方。酸素吸入。点滴の準備などなど、実技や勉強が続く。
 第2章は、「暗くなるからこそ見る」。
 実技が続いている。病室のベッドメーキングや、手術前の準備や心得を学ぶ。「患者とどう対応するかを、あらかじめ整理しておくこと」と指導官。
 抜糸する患者や、ギプスのとれる患者がいる。すべて実習の一環だ。採血実習もある。教官は「あせらないで、リラックスして」と言うが、うまくいかない。
 患者さんと話すのも実習のひとつ。庭を散歩しながら、話し相手になる。愉快な患者さんは、救急車の音を聞くたびに、「フランソワーズ・アルディの歌を思い出す」と言って、唄い出す。
©Archipel 35, France 3 Cinéma, Longride -2018 圧巻は第3章だ。「死ぬからこそ求める語り 引き裂かれるからこそ」。
 実習の報告書を出し、資格テストを前にして、指導官との面談が始まる。合計13名が登場し、悩み、希望、現実を語る。その一言一言が、重い。
 末期がんの患者を見送った男性は、「最期の瞬間に立ち会い、いろんな話が出来たし、お別れも言えた」と感慨を語る。実習の5週間で、5、6人が亡くなったという女性は、「逃避していたかも」と反省する。辛い経験に泣く人。成績のいい人。技術に自信のない人。アラビア語の通訳で医師に協力した人。看護師の適正がなく、別の進路を考えたらと助言される人……。現場に精通する指導官の対応が、ことごとく見事。実習生のもろもろに、深い理解を示し、助言し、導く。
 いったいに、人は、他人が喜び、他人を救うために働くことを学ぶ、という気持ちがあるはず。看護の労働環境は、どの国でもそう恵まれているわけではないと思うが、それでも、他人のために、他人が喜ぶために、人は学び、学ばなければならない。
 エンドロールに、ボブ・ディランの「ドント・シンク・トゥワイス・イッツ・オール・ライト」のカバー曲が流れる。「考えてもしょうがない ベイビー くよくよするな これでいい」。
 監督ニコラ・フィリベールの、学び、指導するさまざまな人間を見つめる暖かなまなざしに、心がほんわか。すてきなドキュメンタリーだ。

2019年11月1日(金)より、新宿武蔵野館他全国順次公開

『人生、ただいま修行中』公式Webサイト

監督・撮影・編集:ニコラ・フィリベール
2018年/フランス/フランス語/105分/アメリカンビスタ/5.1ch/カラー/英題:Each and Every Moment/日本語字幕:丸山垂穂/字幕監修:西川瑞希
配給:ロングライド
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
文部科学省特別選定(青年、成人向き)
文部科学省選定(少年向き)