学び!とESD

学び!とESD

ポスト・コロナ時代の教育 ‘ESD for 2030’からの示唆 ~その1~
2020.07.15
学び!とESD <Vol.07>
ポスト・コロナ時代の教育 ‘ESD for 2030’からの示唆 ~その1~
永田 佳之(ながた・よしゆき)

「変化に向かうまたとない好機」

 にわかに起きた新型コロナウイルスの感染拡大に翻弄された世界のあり様をふり返り、ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス氏は次のように語っています。

コロナ前の世界は瀕死の状態でした。地球温暖化や経済格差は悪化する一方で、人工知能(AI)によって失業した人々が職を求めて列をなしていた。私たちはコロナ前の誤った世界に戻してはならず、新しい世界をつくらなければなりません。政治指導者がまずやるべきは、コロナ前の世界に決して戻さないと誓うことです。今は変化に向かうまたとない好機です。(The Asahi Shimbun Globe. No. 231. 2020年7月5日)

 「瀕死の状態」をもたらした「誤った世界」とは常軌を逸したグローバル化が生み出した格差社会や気候変動に翻弄される社会です。こうした社会を支えてきた価値観の形成に大きな影響を及ぼしてきたのは教育ですから、教育にとっても「変化に向かうまたとない好機」であると言えましょう。
 ところが、ウィズ・コロナのいま、全国で夏休みを返上してまで授業や宿題で学習の遅れを取り戻す必要性が連呼され、多くの先生に焦りが見られるようになりました。もちろん、こうした努力は学力保障という意味においては重要かもしれません。ただ、制度内での努力だけでなく制度そのものを見直す努力、すなわち旧来の制度内での変化ではなく制度や枠組み自体の変化が求められているのではないでしょうか。
 今、問われなくてはならないのは、従来の就学(通学)主義、管理主義、形式主義、成果主義、評価主義、能力主義、教科主義、年齢主義、そしてこれらを支えてきた「学校文化」です。今月そして来月と、新型コロナウイルスの発生とほぼ同時期に産み落とされた国際的な教育枠組みである‘ESD for 2030’に注目し、従来の「学校文化」もしくは学校の「当たり前」を捉え直してみたいと思います。

古くて新しい課題

 ユネスコはユヌス氏と同様の危機感をつとに示していました。『教育の再考(Rethinking Education)』などのレポートには随所に行き過ぎた経済成長優先の開発のあり方への警鐘が鳴らされています(*1)
 このレポートでは「学習の4本柱」、すなわち「知るための学び」「為すための学び」「共に生きるための学び」「存在を深めるための学び」から成る学習の4類型の中でもグローバル化の時代においては特に「共に生きるための学び」と「存在を深めるための学び」が重要であり、今こそ「ヒューマニスティック・アプローチ」が重要であると主張されています。中でも「存在を深めるための学び(Learning to be)」は現代社会が常軌を逸脱した方向に向かおうとする時の警鐘としてしばしば登場してきた概念です。
 1972年に刊行されたLearning to Be: The World of Education Today and Tomorrow(邦訳『未来の学習』)で知られるようになった「存在を深めるための学び」の理解にはエーリッヒ・フロム著『生きるということ』(原題:To Have or To Be)が参考になるでしょう。「持つ様式」と「ある様式」は人間の二つの基本的な存在様式であり、前者は近代化を推し進め、グローバル化を下支えする消費社会を形成してきました。他方、後者は人がモノとして扱われたり処理されたりする消費社会の様式とは異なり、「世界との真正な結びつき」が築かれていくのに不可欠な様式です。
 こうした「ヒューマニスティック・アプローチ」の系譜は、グローバル化の荒波の中でもユネスコの諸事業を通して1970年代以後も連綿と受け継がれており、ESDの文脈においても見出させます。次号で詳しく紹介する‘ESD for 2030’のキーワードはまさにその延長線上に位置付けられ、ポスト・コロナの時代においてはいっそう示唆に富むメッセージとなって立ち現れています。

*1:『教育の再考(Rethinking Education)』(文部科学省仮訳)
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2015/07/09/1359574_05.pdf